2006年7月1日に他のブログに書いた記事を転載。(元記事削除済み)
ある高校生が、
「なんで人を殺しちゃいけないんですか」
という質問をした時、そこにいた大人たちは誰も答えられなかったという――、
ということについて、以前、他のところで思うことを書いたのですが、「国家の品格」(藤原正彦著、新潮社)を読んでいたら、このエピソードについて書かれていたので、再びこのことについて私が思うことを綴ってみようと思いました。
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「なんで人を殺しちゃいけないんですか」
「国家の品格」の中では、
『人を殺してはいけないのは「駄目だから駄目」ということに尽きます。「以上、終わり」です。論理ではありません。このように、もっとも明らかのように見えることですから、論理的に説明出来ないのです』
と書かれています。
私がこのことについて思うことが”論理的”なのかどうかわかりませんが、いえ、たぶん少しも”論理的”ではないのかもしれませんが、私は思うのです。
まず考えてみましょう、
「人を殺したら罪になる、というルールを作ったのは誰?」
って。
……私たちの先祖ですよね。
では、なんでそんなルールを作ったのか?、と考えてみます。
「好き勝手に人を殺しても罪にならなかったら、人間社会の発展は望めない」
からです。
仇討ちも、現在の日本では罪になりますから。(1873年(明治6年)2月7日、敵討(仇討ち)禁止令発布)
人間社会のルール
そりゃ、気に入らない人もいるでしょう。
あいつさえいなければ、って思ってしまうこともあるでしょう。
でも人が、感情の赴くままに行動し、人を殺してしまっても誰からも咎められず、その罪を償う責任すら科せられなかったら、大変な世の中になってしまう、人間社会崩壊になってしまいます。
だから私たちの先祖は、人を殺したら罪になる、というルールを作ったのではないでしょうか。
しかし、一言で人殺しとはいっても、それぞれの事情があり、罪の重さを一定にするのは逆に不公平になるので、裁判で罰の重さを決める、というルールを更に作ったのではないでしょうか。
「命の重さ」という視点で考え始めると、
「人間を殺したら罪になるのに、私たちは豚肉や牛肉を食べている。その動物たちの命は重くないのか?」
などという話になってしまいます。
――ここでまた、考えてみましょう。
「人を殺したら罪になる」
は人間社会のルールなのです。
人間以外の動物については、別の問題です。
「人をなぜ殺してはいけないのか」
それは、
「人間社会の発展のため」
です。
そのために、私たちの先祖がルールを作ってくれたのです。
ルールがおかしいと思うなら、変えていけばいい
時代が変わり、そのルールはおかしいと思うのなら、意見を出し合って変えていけばいいのです。
受身でいないで、自分たちで作り上げていこう、変えていこう、と考えていけばいいのです。
より良い世の中になるように。
今更なのですが、「国家の品格」はいろいろ考えさせられます。
ちなみに品格ある国家の指標は、
1.自らの意志に従って行動の出来る独立国であるということ。
2.高い道徳
3.美しい田園
4.天才の輩出
だそうです。
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