今更ながら、「多動力」堀江貴文著(幻冬舎)を読んだ。
その中のひとつ「手作り弁当より冷凍食品のほうがうまい」という部分を読んで、感じたことを綴りたいと思う。
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手作り弁当より冷凍食品のほうがうまい
この章を最初、さらっと読んだとき、次の部分が気になった。
お母さんの愛情たっぷり手作り弁当よりも、コンビニ弁当やマクドナルドのてりやきマックバーガーのほうがおいしかったりする。化学調味料と天然の旨味成分は化学的には同じものである。
最初は、
え~、そんな! 人間はロボットじゃないんだから! 愛情を感じないってことないでしょ!
って思った。
手作り弁当より、コンビニ弁当がおいしいなんて、そんなわけないよって。
だけど、きちんと読んでみて、
「ああ、確かに、そうかも」
と納得した。
毎朝早起きすることにストレスを感じ、子どもや夫にやつ当たりして、家庭の空気が悪くなってしまえば、本末転倒だ。
「手作り弁当を作らなければ!」
と思い込み、イライラしながら手作り弁当を作ってもらっても、子どもはきっとうれしくない。
あるママさんタレントのエピソード
思い出した。前にテレビで観たタレントの子供の話。
母親である、そのタレントは、
「うちの子は、ママが作ったものより、買ってきたもののほうがおいしいっていうんです」
だから、自分は料理をしなくてもいいと、そのタレントは続けた。子どもが望んでいないのだから、と。
それを観ながら、
「なんで子どもが気をつかっていることに気付かないんだろう!」
と思った。
母親が料理が苦手っぽいから、
自分のために料理をすることを面倒だと思っているから、
だから子どもは気をつかっている。
「ママが作ったものよりも、外で買ってきたもののほうが美味しい」
⇒「だからママは、私のために料理しなくていいよ」
そこにいた出演者、誰かがそれを指摘しただろうか?
実は、子どもが母親のことを思いやっていることに。
たぶん、そのタレントが子どものために、楽しそうにがんばって料理をしているのなら、子どもはきっと、
「外で買ってきたもののほうが美味しい」
とは言わないのではないかと思った。
料理の味というより、ストーリーが大事
自分自身の思い出をたどってみた。
そういえば、母親ががんばって作ってくれたカチカチのスポンジケーキが美味しかった。
スポンジケーキなのに、膨らまなくてカチカチで、母親は、
「全然、膨らまなかった。もう二度と作らない」
と機嫌が悪かったけれど、カチカチのスポンジケーキは味が凝縮されていて美味しかった。
なによりも、作ってくれた気持ちが子ども心にうれしかった。
あとは、家族で海水浴に行った時に、海の家で食べたラーメン。
まずくてまずくて、最後まで食べきれないくらいまずかったけれど、
「まずくて食べられない!」
って家族で不機嫌だった思い出が、微笑ましい。
まずかったラーメンの不愉快な思い出ではなくて、家族で楽しく海水浴に行ったときの、まずいラーメンに遭遇しちゃった、笑える思い出だ。
もちろん、料理はまずいよりも美味しいほうが良いと思う。
でも、料理がまずい美味しいよりも、そこにあるストーリーが大切なのではないだろうか。
ストレスになるなら料理はしなくてもいい
「手作り弁当を作らなければ!」
と思い込み、ストレスになるくらいなら、料理はしなくてもいい。
やつ当たりされる周りの人間も悲しいから。
「多動力」は、料理についての本ではない。
ひとつの例として、手作り弁当の話が書かれているだけ。
すべてのことに全力投球をしていたら、疲れてしまう、しかし全部手抜きでもダメ。
重要なのは、たまに手を抜くことである。
なるほど。
緩急を使いこなすことこそ仕事の本質だ
世の中があまりにもスピーディーになってきて、すべて完璧にこなそうとすると壊れてしまう。
緩やかに時間を過ごしたいけれど、スピーディーに対応しなくてはいけないことも多い。
スピーディーに完璧に。
だけど、どこかで手を抜くことをしないとやっていけないから、仕事ができる人は、緩急のつけ方が上手なんだろうなあ。
手を抜くところを間違えてもダメな気がして、きっと今後はますます、全体を俯瞰してみる能力が必要になるのだろう。
はずしてはいけないポイントをきちんと押さえること。
仕事ができる人はきっと、すでに普通にやっていることなのだろうけれど。
でも、なんだかんだ、私は、
カチカチのスポンジケーキが美味しかった気持ちを忘れない。
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