中学生の頃のことを、いくつか書いてきましたが、2006年の11月に書いた記事を、ここに転載しておこうと思う。(元記事、削除済み)
最近続いているイジメの問題などに触れるにつけ、自分自身の中学生時代を思い出したりする。
中学生時代というのは正に思春期だった。
まわりの同年代のみんなも思春期で、熱くて、エネルギーもてあましていて、激しくて、泣いたりぶつかり合ったり、本当に情緒不安定な時期だった。
高校生になった途端、少し落ち着いたような気がするのですが。
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汚さが許せなかった
純粋だったなあって思うのは、まわりや自分の汚さが許せなかったところ。
当時、こんなような文章を書いている。
「今度生まれてくるときには、きれいな心を持って、きれいな心を持った人たちに囲まれて暮らしていきたい」
私は別に「死んでしまいたい」と思っていたわけではない。
落ち込むたびに「消えてしまいたい」とは思っていたような気がするけれど。
バスケット部の思い出
中学ではバスケット部に入った。
それまで自分に対して、どうもぼんやりしているところがあるなあと思っていた私は、厳しい部に入って自分を鍛えなければいけないと思ったのだ。
そして一番厳しいとされていたのがバスケット部だった。
しかしこの部は、運動神経が良く、気が強い人たちの集まりで、私にはきつかった。
この部に入ったせいで、楽しいはずだった中学生生活がそうでもないものになってしまったと、当時の私は思っていた。
練習が厳しいのはともかくとして、とにかく人間関係が難しかった。
上下関係……、1つ年が違うだけなのに、なんでこんなに差があるのだろうと思った。
そして同じ学年同士の争いも激しかった。
試合中に、仲間同士でわざと取れないようなボールを投げるなんてこともあったし、仲間はずれのターゲットが1人ずつずれていくなんてこともあった。
基本的に人間関係のいざこざを面倒くさいと思ってしまう私(みんなで仲良くすればいいじゃん。気が合わなくても、それなりに接していくようにすればいいじゃん、っていうのがお気楽な私の考え)でも、その中でうまくやっていくためには、その状態を受け入れていくしかなかった。
そんな厳しいだけの部活なんて辞めてしまえばよかったのかもしれないけれど、逃げ出したいと思いながらも「逃げないことこそ尊い」と思っている自分がいた。
そして頑張って乗り越えた先には、きっと素晴らしいものが待っているのではないかと思ったりもしていた。
当時、先生や親といった大人たちには、何も期待していなかった。
心を開いてみても理解してくれたりなんてしないし、そんなことをすれば事態をもっとややこしくするだけだと思っていた。
閉鎖的な学校生活での人間関係、自分自身に対するコンプレックスが煮詰まってくると、一人で部屋でわんわん泣いた。
そして泣きながら元気になるような音楽を聴いたり、心境を文字にしてみたりした。
しばらくすると元気になって、「また頑張ろう」という気持ちになれた。
バスケット部の思い出では、こんな記事も書いてます。
ゴダイゴのファンだった
思春期に好きだったアーティストや音楽やタレントetc.は、その人自身に大きな影響を与える。
「アフリカの人たちってさあ、日が昇れば起きて日が沈めば眠るっていう生活なんだよね。なんかさあ、生きてるだけでしあわせって感じなんだよ」
by ミッキー吉野さん(ゴダイゴ)
「何かつらいことがあった時に、そのことばかりを見つめないで、どうしたら少しでもよくなるんだろうってことを考えながら暮らしていって欲しい。少しずつでもそのとき出来ることをしていれば、見えなかった答えが見えるときが来ると思うから」
by タケカワユキヒデさん(ゴダイゴ)
「生きてるだけでしあわせ」っていう基本的なこと忘れて、自分のつらさばかりを嘆いていた私はなんて罰当たりだったんだろう!と思った。
そして、この「今出来ることはなんだろう」っていうふうに考えるのは、その後も私の癖になっているようで、友達に
「いつも”どうしたらいいんだろう”って言ってるよね」って言われたことがある。
つまり私は、いつも行き詰っているということか……;
がんばり抜いた先
バスケット部は3年間続けた。
そして、頑張りぬいた(と自分では思っていた)先には、別になにもなかった、と当時は思った。
苦しいだけの3年間だった。もっとおもしろおかしく楽しみたかったのに、ヘンにがんばろうと思ってしまったことで、無駄にしてしまった、と。
「よくやったことの報酬は、そのことをやったってことだけさ」
”はみだしっ子”の中の台詞。(三原順さん作)
でも、後に私は気付くことになる。
決して頑張ったことは無駄ではなかったのだと。
そう、純粋に頑張ったことが無駄だったなんてわけはないのだ。
それは思いがけない時に訪れる。
追い詰められて、もうダメだと思ってしまった時、当時の頑張っていた気持ちが蘇るのだ。
「こんなことくらいで負けるもんか!」ってファイトが内から沸きあがってくる。
あの頃、人間関係、精神的に辛いときを過ごしたから、その後の人生で多少のことが起ころうとも、
「こんなもんでしょ。こんなこと、驚くようなことじゃない」
って思える。
そしてあの頃、純粋に悩んで、考えていたことから、
「人間、いつかは死ぬんだから、寿命までは生きよう。それは権利じゃなくて、義務なんだ。生きているからには少しでもしあわせを感じられるように、少しでも自分の役目を果たせるように、少しでも自分の夢に近付いていけるようにしていこう」
と思える。
「はだしのゲン」
やはりこの純粋だった頃、学校で観せられた「はだしのゲン」という広島の原爆のアニメを観て、私は泣きながらこんな感想を書いている。
それまでは社会科の教科書だけで習った知識で、
「日本人だってひどいことしてきたんでしょ。自業自得だよ」
なんて、冷たいことを思っていた私でしたが、このアニメ(映画)を観て、当時の人たちが決して戦争をしたくてしていたわけではなかったということ、なんの罪のない人々が生命を落としていく姿を見て、本当に申し訳ないことを思っていた、と反省した。
感想文はこんなふうに締めている。
「自殺する人たち、死ぬだけの勇気があったら負けないで生きなさいよ! いらない生命だったら、この人たちにわけてあげてよ!」
死にたいと思っている人たちにとって、死ぬことよりも生き続けることのほうが勇気がいることなのだということはわかっている。
だから、せめてこんなふうに思いたい。
どうせいつかは死ぬんだから、生きられるだけは生きようよ。
そして、少しでもいいことしていこうよ。捨てたつもりの人生、有意義に過ごせるかって、賭けてみるのいいんじゃない?
少なくとも、今すぐ死んじゃうよりはずっといいと思うよ、って。
悲しみの果てにやさしくなるほど、優雅な気分じゃないけどね
「悲しみの果てに優しくなるほど 優雅な気分じゃない」
by 佐野元春さん(COMPLICATION SHAKEDOWN)↓ 02:12 あたり
優しくなれないんだったら、せめて少しでも強くなってやろうじゃんって思う。
大人になるとね、感受性が鈍くなっていくだけ、少しはラクになるってこともあります。
※追記
中学生の時は思春期で純粋だったと思うけど、高校生の時に書いた文章を読み直してみても、中々のものがある。
今よりずっと大人で、いろいろなことについて真剣に考えて、結論めいたことを出しているのだ。
大人になると、十代の頃なんてなにも考えてなかったんじゃないかと思いがちだけれど、大間違いだ。
※追記2
もっとTVなどで、友情を描いた青春モノみたいなドラマをやったほうがいいのでは、と思う。
バラエティ番組でも、弱いものイジメして、それを笑うみたいなの、やめたほうがいいと思う。
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