ヨコハマメリー:かつて白化粧の老娼婦がいた

ヨコハマメリー:かつて白化粧の老娼婦がいた

中村高寛
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ヨコハマメリーをご存じでしょうか。

上の写真のように白塗りの厚化粧をして、横浜で街娼をしていた人物。

戦後の混沌とした時代に、白人相手に仕事をしていた。

 

横浜で老婆になるまで街娼をしていたメリーさん。

ネット上で存在を知り、

「なぜ、老婆になるまで街角に立ち続けたのだろう」と不思議に思った。

 

本を読み、映画を観たので、「ヨコハマメリー」について綴ります。

ネタバレ注意です!



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ヨコハマメリーさんとは

メリーさんのドキュメンタリーが映画になっている。
監督:中村高寛、主演:永登元次郎, 五大路子, 杉山義法

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以下は映画の出だし。

”ハマのメリー”と呼ばれる老婆が横浜にいた。

その昔、米兵相手の娼婦 ”パンパン”だったらしい。

~中略~

老いてもなお 横浜の繁華街 伊勢佐木町に立ち続けたが

1995年 突然、姿を消した

ある時期、横浜の名物(?)だったメリーさん。

白塗りの厚化粧、白いレースふりふりの衣装が人目につき、知らない人はいないほど。

ホームレスだったが気高く、施しを受けることを嫌ったという。

 

白人相手の街娼をしていたころには、同じように客引きする女性が多くいて、目立つ外見でいることが必要だったのだろう。

全身を白でコーディネートしたのは、白人に対する想いからだったのか。

 

「ホームレスで娼婦」でありながら、どこか愛すべき人物として語られているのは、メリーさんが貫いた精神、媚びない、群れない、孤高な姿勢ゆえではないかと想像する。

メリーさんの生い立ち

メリーさんの生い立ちについてはさまざまな噂があり、確かなことはわかっていないようだ。

しかし、真相に近そうなことは述べられているので紹介したい。

 

メリーさんは1921年生まれ、 2005年1月17日に84歳で亡くなった。

横浜から姿を消し故郷に帰り、老人介護施設で晩年を過ごした。映画の中には介護施設で過ごすメリーさんの姿も映されている。

 

以下はwikipediaより。

岡山県出身。実家は農家で、女4人、男4人のきょうだいの長女として生まれる。

実弟の話によると、地元の青年学校を卒業後国鉄職員と結婚。その後戦争が始まり軍需工場で働きに出るが、人間関係を苦に自殺未遂騒動を起こす。この出来事が原因で結婚からわずか2年で離婚。子供はいなかったという。戦後、関西のとある料亭(実際は米兵相手の慰安所だった)で仲居として働いた後、そこで知り合った米軍将校の愛人となる。彼に連れられ東京へ出るが、朝鮮戦争勃発後、現地へ赴いた彼は戦争が終結するとそのまま故郷のアメリカへ帰り、日本には戻らなかったという。

取り残された彼女はその後横須賀を経て横浜へと移動し、米兵相手の娼婦としての生活を始める。以後在日米軍基地に数十年間長期にわたり居住した。

結婚をして、工場で働き始めたまでは、当時の女性の平均的な生き方だったのではないかと思われる。

メリーさんがメリーさんとしての道を歩み始めたのは、工場での人間が関係がきっかけになったのではないか?

それまでは問題になっていなかったメリーさんの個性が、表面化したという意味で。

美人で気高いメリーさんの人間関係

年老いてから厚化粧の白塗りになってしまったものの、若いころのメリーさんは美人だ。

そして凛としている。

言葉遣いもきれいで、服装も立ち居振る舞いも只者ではなく、ついたあだ名が「皇后陛下」。

近寄りがたい気品があったという。

 

工場で働いていたのは、もしかして女性が多かったのではないだろうか。

そしてメリーさんのような個性を持った女性が、女性同士の人間関係の中でうまくやっていけるのか?

女性の方だったら、より理解していただけると思う。それは、かなり難しいということに。

 

美人で、ツンツンしている。

女性同士であれば、鼻につく存在だろう。

綺麗な女性が、女性の中でうまくやっていけないわけではない。振舞い方なのだと思う。

実際にメリーさんが街娼をしていたときに、

「ほかのコは愛想よく挨拶してくるのに、あのコだけは違った」

「”にこっ”とでもしてくれれば(笑って挨拶でもしてくれれば)わかりあえることもあるのに、ツンとされればこっちも”なんなんのよ”ってなってしまう」

という証言がある。

もっと上手にコミュニケーションをとれなかったのかとは思うが、その個性ゆえにメリーさんは、メリーさんとして生きることになった。

 

嫌われているとわかっても、好かれるように振舞うことができなかった。

美貌を活かすことが最大の武器だった。

プライドが高さから、相手にするのは兵隊ではなく白人の将校だけ。

年齢を重ねて日本人のお客さんもとるようになったが、条件があった。「眼鏡をかけている(頭がいい)」、「太っている(お金がある)」、「色が黒い(健康的)」。

メリーさんから声をかけられることは、ある意味、名誉なことだったとも言われている。

メリーさんは愛した将校を待ち続けたのか?

メリーさんが年老いて、「白塗りのお化け」とまで言われるくらいまで街娼を辞めなかったのは、アメリカに帰ってしまった本気で愛した将校が戻ってくるのを待っていたという説がある。

メリーさんは、待っていたのだろうか?

待っていた気持ちも少しはあったかもしれない。

でも、待ち続けていたというより、メリーさんにはほかに生きる術が見つけられなかったのではないかと思う。

 

戦後、街娼をしていた女性たちはそれぞれ散り散りに自分なりの道を歩んでいったのだろう。

しかしメリーさんには、進む道が見つけられなかった。

だから街角に立ち続けることしかできなかった。

 

元々、色白だったというメリーさんは、年を重ねて厚化粧になっていく。

その白い厚化粧は「仮面」だったのではないかという証言がある。

 

ビンゴ!と思った。

老婆になっても尚、全身真っ白で街娼を続けたメリーさんは、頭がおかしかったのではないかとも思える。

しかし、メリーさんは老いていく自分の容貌を把握していて、厚化粧でもしなければ街娼を続けることができなかったのではないか。

つまりメリーさんがメリーさんで居続けるための「鎧(よろい)」が、あの真っ白な厚化粧だったのではないか。

メリーさんを取り巻く愛と差別

「白塗りの老婆」「白塗りのお化け」と、メリーさんを奇異な目で見る人たちもいた。

家がないメリーさんの寝床は、ビルの中のベンチ。

追い出されてしまうことが多かったが、寝かせてくれるビルもあった。

メリーさんはそこのオーナーの会社にお中元とお歳暮を贈っていたという。

「(追い出さずにいてくれて)ありがとう」

の意味だったのではないかと。

しかし社員たちは気持ち悪がって、受け取った品物はそのままになっていた。何年か経ってから開けてみたらタオルだった。

 

当時はエイズが問題になり始めたころ。

通っていた美容院は、「メリーさんが来るなら、もうこの店には来ない」と他のお客様に言われ、メリーさんの来店を断ったという。

行きつけだった喫茶店は、「メリーさんと同じカップで飲みたくない」と他のお客様に言われ、メリーさん専用のカップを用意したという。

 

一方でメリーさんに手を差し伸べていた人たちもいる。

家も着替え場所もないメリーさんに、店内の更衣室を提供していたクリーニング店。

母親のようにメリーさんを慕い、メリーさんが住む家探しをし、生活保護が受けられないかと役所とやり合い、メリーさんが過ごす養老院に慰安にも行ったシャンソン歌手の永登元次郎さん。

映画製作当時、末期のがんだったという元次郎さんは、ゲイボーイ。

スターになることを目指して上京してきたもののうまくいかず、2~3年、男娼をしていた経験を持つ。だから「メリーさんのことが他人には思えなかった」のだと。

 

老いたメリーさんが実家に帰れるように手配をしたのは、通っていたクリーニング店の奥さん。

メリーさんが段々弱っていくのを見ていられず、横浜に永住の場所もなかったので、

「故郷に帰る?」と聞いたら、メリーさんが「うん」と頷いたので、実家に電話をかけた。

実家はメリーさんが帰ってくることを了承し、クリーニング店の奥さんが帰郷する切符も手配した。

ドキュメンタリー映画によると、1995年12月18日、メリーさんは帰郷。白塗りの姿のまま、帰っていったという。

晩年のメリーさん

下記は、当時、根岸家(ねぎしや)のお屋敷芸者をしていた五木田京子さんの証言。

根岸家とは、ヤクザも娼婦もアメリカ人も出入りしていた24時間営業の大衆居酒屋。1980年、倒産した上に火災で焼失してしまった。

「”パンパン”っていうのは、戦争に負けた国(日本)の女が進駐軍に媚びを売って、お金を稼いだという人間に対する名称。独特な戦後の言葉。でも、仕方ない。生きるためだから。悔しいっていったって仕方ない。(それをしなければ)生きていけないんだから。誰が見てくれる? 誰が養ってくれる? 人になにを言われようとどうってことない。ボロを着ていようと、心は錦でいればいいと思って」

1995年、74歳で横浜を去ったメリーさんは故郷の老人介護施設に入る。

永登元次郎さんはメリーさんがいる施設に、シャンソンを歌いに向かう。

 

利用者が集まる集会室でシャンソンを披露する元次郎さん。

聴き入るメリーさんは、厚塗り白化粧ではなく、本名で暮らしていた。

レースでも白い衣装でもないけれど、どこか気品がある雰囲気。

娼婦をしていたようには見えないけれど、若いころ美人だった面影がある。

街娼をしながら家もない日々を過ごしていた激しさは、にこやかに笑い、小さな声でお礼を言うおばあちゃんからは感じられない。

「住む部屋が欲しい」と言っていたというメリーさんは、施設に入り、ホッとしたのかもしれない。

送ってきた人生へのネガティブな感情などみじんもなく、ただニコニコと穏やかな表情をしているおばあちゃん。

 

「メリーさん」は、愛情と混乱が入り混じった時代の象徴だったのかもしれない。

「群れない(群れることができない)」からこそ、メリーさんは「孤高の人」になった。「伝説」になった。

 

奇異な存在だったメリーさんに、愛情深く接していた人たちがいたことに、心をゆさぶられた。

「時代と、当時の横浜という土地柄のせいかもしれない」と思ったが、思い直した。

”時代”や”土地”のせいだと切り捨てるのではなく、人間には愛情や気高さ、弱さや醜さ、懸命に生きる強さがあることから目を背けてはいけない。

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