横浜市にある「根岸外人墓地」に行ってきた。
きっかけは、先日紹介したドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」。
その中で作家の山崎洋子さんが話されていたことが気になった。
「山手外人墓地は観光地にもなっている。埋葬されているのはエリートたち」
「同じ横浜市にあるのに、あまり知られていない”根岸外国人墓地”に埋葬されているのはお墓参りする人も訪れないような無名の人たち。関東大震災の犠牲者。そして戦後、遺棄されていた混血の嬰児たち800体~900体」
今だったら事件になるようなことだが、戦後はそれどころではなかったのだという。
遺棄されていた混血の嬰児たち800体~900体……、なに、それ? そんなことが?
ショックだったが、根岸外国人墓地に行ってみようという気持ちが湧き上がってきた。
この記事では、そこに至るまでの想い、訪れた日のことを紹介します。根岸外国人墓地の撮影もしてきたので、よろしかったらご覧ください!
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「丘の上のエンジェル」
ドキュメンタリー映画の中で紹介されていた、山崎洋子さんの著書も読んだ。
著書の中に、山崎さんが根岸外国人墓地に混血の赤ちゃんが埋葬されていると知らされる場面が出てくる。
「山崎さんは根岸の外国人墓地を知っていますか?」
「聞いたことはあります。関東大震災の犠牲になった外国人の方が、多く埋葬されているとか」
「混血の赤ちゃんの話は?」
「いいえ。なんですか、それは」
「あの墓地にね、900体近い混血の赤ちゃんが埋葬されているらしいんです。名前も素性もわからないまま……」
「どうしてそんなことが……」
「ほとんどが、遺棄されていた赤ちゃんらしいんです。だから素性もわからなかったんですね」
「遺棄って、つまり捨てられていたということですか? 死んだ状態で?」
なぜ、そんなことが起きてしまったのか、説明が続く。
嬰児は最初から根岸外国人墓地に捨てられていたのではなかった。横浜の観光地として有名な、山手外国人墓地のほうに、遺棄というより、そっと置かれていたのだという。それがどう見ても混血の嬰児だった。生まれてきては困る子だったのかもしれない。人に知られたくないから、死んでもしかるべき墓地に持っていくことができない。父親が外国人なんだからと、外国人墓地にこっそりおいてくるしかなかったのだろう。
戦後、敗戦国となった日本。
焼け野原になった土地で、どうにか生きていくしかなかった。
戦地から男たちが帰ってきたが、仕事がなかった。
そうした中で、確実にお金を稼げたのが進駐軍相手の売春である。水商売などに縁のなかった「善良で清純な婦女子」もパンパンと称される進駐軍相手の売春婦にどんどん身を堕としていった。
妊娠してしまっても、今のようなまともな中絶手術はできなかった。
こうして、何人ものGIベイビーが生み落とされた。クスリ――ヒロポンのたぐいは、娼婦のほとんどがやっていたという。それで命を落としたり廃人になったりした女もいるというが、クスリでも打たなければ神経がもたなかったのだろう。
※GIベイビーとは……連合国軍占領下の日本に、(アメリカ軍やイギリス軍)を中心とした連合国軍の兵士と日本人女性との間に生まれた乳幼児や子供である。(wikipediaより)
なんという、すさまじい時代。
望まれず生まれて遺棄された嬰児たちが埋葬されている根岸外国人墓地は、どれほどおどろおどろしい場所なのだろうか……、と思ったが、山崎さんが嬰児たちのために「丘の上のエンジェル」という作詞をしたと知り、
エンジェル……、そうだよね、嬰児たちに罪があるわけでも、恨みを抱えて亡くなったわけでもない、それなのに気味悪がるのは間違っているのではないかと思い直した。
根岸外国人墓地に行くことを決意
さらに、以前、ツイートしたことも思い出した。
亡くなった人を想うとき、泣いたり悲しんだりしないでって。
日本では死を“けがれ”ととらえることもあるけれど、肉体がなくなっただけ、特別視しないで欲しいって。魂は在り続けるのだからって。伝えなくちゃいけないような気がした。— mari_Ruca@ライター&占い師&ムビラ弾き (@Ruca_moon) 2018年3月12日
「日本では死を“けがれ”ととらえることもあるけれど、肉体がなくなっただけ、特別視しないで欲しいって。」
と伝えた私自身が気味悪がるなんてダメでしょ、って思った。
そして突き動かされるように、根岸外国人墓地に向かった。
根岸外国人墓地はJR山手駅から歩いてすぐ。
とても天気のいい日だった。
山手駅
いいお天気のおかげもあったのかもしれないが、おどろおどろなど、まるでしていなかった。
丘の上にあるので眺めも良く、清らかな雰囲気。
ただ、きちんと区画整理させていず、埋もれているような墓石もあり、歩きながら、
「もしかして、墓石はないけど、埋葬されている上を歩いてしまっているかも」
と思った。
私以外に人もいず、訪れる人もほとんどいない墓地といったイメージ。
撮影してきたので、よろしかったらご覧ください。
歩きながらの撮影なので、画面が揺れていてすみません。
オーブのような緑の玉が映り込みましたが、単なるホコリかも。
慰霊碑のデザインは、片翼の天使(飛べない天使)のイメージだそう。
私はムビラ(アフリカ・ジンバブエの伝統楽器)弾きでもあるので、敷地のはずれで少しだけムビラを奏でてきた。
外人墓地を出てから
根岸外国人墓地をひと回りして、駅に向かっているとき、
「うっ、体が重い」
と感じた。
悪いものではないかもしれないけれど、なにか背負ってきちゃったかも、と思った。いえ、霊感はないので定かではないのですが。
即、神社に向かうことにする。(神社にお参りすると、体が軽くなるような気がする経験から)
検索して、一番近くにある北方皇大神宮へ。
お参りしてから歩いていると、ふうっと体が軽くなった気配が。いえ、すべて気のせいかもしれないのですが。
スキップしそうな足取りで駅に向かった。
そして「うーん、”死”というものに対して、どう向き合うのか、どう受け入れるのかは難しいよね……」と考えていた時、メッセージのように、感じた。↓
「向き合うのではなく、一緒に歩んでいこうよ」
「特別視しないで欲しい」と以前、感じたわけだから、「どう向き合うのか」「どう受け入れるのか」と特別なものに対するように悩まなくてもいい。
アッチとコッチというような、真逆にいるように考えなくてもいい。
どうしたらいいのかわからないのなら、一緒に考えていこうよって。
ふむむむ、なるほど。
そうかもしれない。なんだか納得。
繰り返しますが、私には霊感はないのですが、私の妄想だとしても、感じたことで伝えたほうがいいと思ったことなので伝えています。
想う心があればいいのでは
許可なく、名も知られず、埋葬された。
整備されることもなく、訪れる人もほとんどいない寂しい墓地。
しかし山崎さんの著書の中に、墓地の管理人さんから聞いた話として、次のようなエピソードが紹介されている。
「一度、中年のアメリカ人男性がやってきたことがありました。ここへ、死んだ子供を埋葬したって言うんです。母親は日本人だそうですが、結婚はしていなかったようです。たぶん、終戦直後の頃でしょう。許可もなんにも取らず、勝手に埋めたということでしたから、取る必要もなかったんでしょうね。ここは長いこと、そういう状態でしたから……。その人は、何度か墓参りに来てたらしいんです。でもアメリカに帰ることになったから、掘り返して骨を持って帰りたい、と言うんですね。もうその時、十字架はなくなってましたけど、その人は場所をちゃんと覚えてまして、わたしをそこへ案内しました。ええ、あの十字架群があったあたりですよ。で、わたしも手伝って掘ったんです。そしたら小さな骨のかけらが出てきました。遺体は箱に入れて埋葬されたらしいですけど、もう箱ごと、ほとんど土に帰ってましたねえ」
中年アメリカ人男性は、その骨を大事そうに持って帰ったそうだ。
愛されず、捨てられた嬰児ばかりではなかったのだ。
私にはなんとなく、埋葬された魂たちは、「ここをもっと整備してくれ」「戦後のどさくさに紛れてされたことを明らかにしてくれ」とは望んでいないように感じられた。
ほんの少しでも、そういうことがあったのだと知ってもらえればいい。
想う心だけでうれしい、と。
いや、もう、妄想交じりで、妄想で締めるようですみません;
「根岸外国人墓地」の存在、戦後のすさまじい時代を生きた人たちの想い、少しでも伝えられたのなら幸いです。
流れを変える、意識を変える☆
書いて描いて弾いて占います。
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