話題の映画、「ボヘミアン ラプソディ」を観た。

伝説のバンド<クイーン>。その生き様が世界を変えた、感動の物語。

映画公式サイトより

 

洋楽に疎い私でも、もちろん「クイーン」というバンド名は知っている。

映画の中で流れたヒット曲も知っている。

しかし、クイーンが(アメリカではなく)イギリスのバンドであったこと、なんとなく名前を聞いたことがあるフレディ・マーキュリーがリードボーカルであったことは知らなかった。

こんなトンチンカンが映画を観たからといって、ブログを書くべきではないのではないかと思ったが、こんなトンチンカンなのに、映画を観ながら泣いていた。

なので、こんなトンチンカンが映画を観て、何を感じたのかを綴ることにも意味があるのではないかと思った。

 

熱烈なクイーン及びフレディ・マーキュリーファンの方々、失礼な感想を述べてしまったらすみません!と最初に謝っておきます。



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映画「ボヘミアン ラプソディ」あらすじ

フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)は、1946年9月5日、インド生まれの両親のもと、タンザニアにあるザンジバル島のストーン・タウンで生まれた。

1964年、ザンジバル革命が起こり、家族とともにイングランドに移り住む。

学校では芸術を学んだ。

フレディは音楽活動を始め、クイーンの母体となったブライアン・メイとロジャー・テイラーの在籍していたバンド「スマイル」に参加。

1970年、バンド名を「クイーン」とする。

映画では、クイーンの名曲、「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などの誕生秘話が描かれている。

バンドはヒット曲を飛ばし、世界的なスターになっていく。

しかし、フレディがソロ活動を始めることから、メンバー間に亀裂が入ってしまう。

愛と孤独の中で苦悩するフレディは結局クイーンに戻り、1985年、バンドは20世紀最大のチャリティーライブ『LIVE AID』出演へ。

 

映画の予告編

映画のみどころ(ネタバレあり)

イギリスの男性4人組ロックバンド、クイーン。

1991年11月24日にフレディ・マーキュリーは亡くなるが(享年45)、2001年、クイーンはロックの殿堂入りを果たし、伝説のバンドといわれている。

映画ではクイーンがスターになっていく様子も描かれているが、フレディ・マーキュリーの生き様を描いているといったほうが近い。

愛猫家だったようで、住む家にはいつも猫たちがいる。

ガールフレンドがいたものの、フレディがバイセクシャル、もしくはゲイだったため破局。

映画の中で、自分のことを「バイセクシャル」と告白するフレディに、ガールフレンドのメアリーは、
「あなたはゲイよ」
と言い放つ。

破局後も、2人は友人関係であり続けた。

 

何度もフレディがメアリーを求めるシーンが出てきて(「君が必要」「一緒にいてくれ」というような)、切なくなってしまった。

ゲイ(もしくはバイセクシャル)であるフレディと恋人関係を続けることは難しかったのだろうが……、うーん、切ない。

 

家族のようだったバンドを離れ、ソロ活動を始めたフレディは、乱れた生活と孤独とプレッシャーに追い詰められていく。

メアリーの「家族のもとへ戻るべき。わたしも家族よ」という言葉をきっかけに、フレディはメンバーのもとに戻る。

「時間がない」というフレディは、エイズを患っていた。

「ボヘミアン ラプソディ」の感想

クイーンを良く知らないトンチンカンな私が映画を観た感想。

フレディ・マーキュリーには才能があった。

そして何よりも運が良かったのは”家族のような”同じように才能があるメンバーに恵まれたこと。

ソロ活動を始めても、「誰も意見を言ってくれなかった」というようなことをフレディは言う。

ひとつひとつの曲を、メンバーが力を合わせて作り上げていく。

そんなメンバーに恵まれたことは、とても運が良かったと思う。

いくら才能があっても、人間関係に恵まれず、開花することがないアーティストもいるだろうから。

 

そしてクイーンがスターとして曲を発表し続けたことは、世界レベルで考えても、運が良かったことといえるのではないだろうか。

 

フレディのバンド活動に賛成していなかった父親と和解するシーンが出てくる。

自分の正義を子供のためにと思って押し付けてしまう親の気持ちと、

理解されなくても我が道を突き進むフレディの強さと、

息子が成功したことを内心喜ぶ父親の気持ちが伝わってきて、ほろりとした。

 

家族。

フレディにとって、バンドも家族、元ガールフレンドも家族。そして、生まれ育った家に住む家族。

家族は、ときに面倒くさく、ときにとても温かい。

少なくともフレディにとっては、「家族」はなくてはならないものだった。

名曲の歌詞たち

映画名にもなっている「ボヘミアン ラプソディ」の歌詞の一部。

ママ たった今、人を殺してきた

あいつの頭に銃口を突きつけて

引き金を引いたらやつは死んだよ

ママ 人生は始まったばかりなのに

僕はもう駄目にしてしまった

ママ ああ ママ

ママを泣かせるつもりじゃなかったんだけど

明日の今頃になって 僕が戻らなくても

今のままで生きていって、まるで何事も無かったかのように

もう遅すぎる 僕の最期が来た

体中を震えが走る

体中が苦痛に責めたてられる

さようなら みなさん 僕はもう行かなくては

あなた方の元を離れ 真実と向かい合う時だ

ママ ああ ママ

僕は死にたくないよ

時々 考えてしまうよ、いっそのこと生まれてこなきゃよかった

これ、アフリカの少年兵の歌詞かと思ってしまった。

というのも、以前、他ブログで紹介した本に書かれていたことを思い出したから。(脱線、失礼)

カラシニコフ」(松本仁一著・朝日新聞社)

カラシニコフ=AK47とは、旧ソ連軍の設計技師ミハイル・カラシニコフが1947年に開発した自動小銃。

アフリカの特派員として紛争取材に行くと必ずAK47に出会ったそうです。そして途上国で戦闘と暴力が吹き出す時、そこにはたいていAK47があり、AK47で命を失うのは、兵士よりむしろ、女性や子どもなどの非戦闘員が多いのだそうです。

”AK”は、ロシア語の「アフタマート・カラシニコワ」(カラシニコフ自動小銃)の頭文字。
(引用文に出てくるシエラレオネは西アフリカにある国。ギニアの隣です)

**本より引用**

シエラレオネで多くの元子ども兵に会った。その何人かが人を殺した経験を持っていた。

南部国境の町の難民収容所で会った15歳の少年は、「ああ、おれなんか何人も殺したぜ」とうそぶいた。同席した国連スタッフが肩を抱きしめ、「昔のことは忘れなさい、あんたのせいじゃないんだから」と諭すように繰り返した。

少年の目に涙があふれた。

「夜、ベッドに横になると、父さんや母さんのことを思い出して眠れなくなってしまうんだ。毎晩だよ。毎晩なんだよ」

AK47は国だけでなく、子どもたちの夢や将来まで壊してしまった。

でも「ボヘミアン ラプソディ」の歌詞は、バイセクシャルだったフレディのカミングアウトの歌詞という説もあるそうだ。

 

有名な「伝説のチャンピオン」の歌詞。

この曲は、Jリーグ浦和レッズのサポーター席にいた時に聴いたのが印象的。

何度か過ちも犯した

ひどい屈辱を受けたこともある

でも乗り越えてきた

俺たちはチャンピンだ 友よ

最後まで戦い抜くんだ

俺たちは世界のチャンピオンなんだから

映画館で大画面で聴いて(観て)、涙した。

歌詞が、描かれていたフレディの心と重なってしまったから。

音楽のパワーは偉大。神がかり。魂ごと、ぶんぶん揺さぶられる。

 

映画で描かれていたフレディは、純粋だった。

人として、アーティストとして、純粋だった。

そして、彼は生き抜いた。

きっと、自分の人生を必死に、駆け抜けたのだろう、弱く強く、深くやさしく。

 

ラスト、映画のクライマックス! 実際の1985年の「LIVE AID」↓

Queen – Live at LIVE AID 1985/07/13 [Best Version]

 

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