先日、2年ぶりにアフリカンダンスのワークショップに参加しました^^
下手なのですが、
汗だくになってリズムに乗って無になって身体を動かして、
すっごく楽しかったです。
終わった後はテンションが上がって、
「楽しむって、こんなにシンプルなことだったんだ!」
って思いました。

現代人は、
「楽しいことないかな~」
とか、
「何やっても楽しくない」
とか思いがちですが、
楽しむってことは、実はこんなにシンプルなことなのですね。



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自然界は「弱肉強食」ではなく「適者生存」

さて、今回のテーマ、「共存」。

ちょっと前にネット上で割と話題になっていた、
”弱肉強食”について。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664

よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません
虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています
***
自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

ふーむ。
「適者生存」は種レベル、と書かれていますが、
個体レベルでも「適者生存」というか、
その場でうまくやっていけない存在は結局その場を去ることになる、っていうのはあるかな、と思いました。

書かれている「適者生存」とは意味が違ってきてしまうかもしれませんが、
言葉通りの、適したものが残る、という解釈で考えて、ということですが。

 

他の人と同じである必要も、媚を売る必要もないけれど、
その場に”適さない”人は、
だんだん居づらい状態になり、
結果的に、その場を去ることになるのではないかと。

その場でうまくやっていきたい、
他者といい関係を築きたいのならば、
他者を批判するでも利用するでもなく、叩くのでもなく、自分を卑下するのでもなく、
お互いのいい部分を認め合い、必要以上に踏み込まない、
要するに「共存」していけるよう心がけていくしかないのではないかと思います。

そのためには、まず、それぞれがきちんと自立していることが大切なのですが。

「ユダヤ人とパレスチナ人」

さて、
個レベルの話から、いきなり国同士レベルの話になってしまいますが、
「共存」という言葉つながりで、
「ユダヤ人とパレスチナ人」(松本仁一著、朝日新聞社)という本に書かれていた言葉を紹介します。

ユダヤ人とパレスチナ人 (ND Books)

ユダヤ人とパレスチナ人 (ND Books)

松本 仁一
発売日: 1995/01/01
Amazonの情報を掲載しています

中東和平は終わっていません。これからひと山もふた山もあるでしょう。結果がどうなるのか、予測はつきません。しかし、イスラエル賞を受賞したアラブ人作家、エミール・ハビビの言葉を、私は信じます。
「双方には共存しか道はないし、いい隣人関係をつくる以外に共存の方法はない。それは好む好まぬの問題ではなく、必然なのだ」

同書の中には、また次のようなエピソードが書かれています。

パレスチナのために働いていたユダヤ人弁護士が、ユダヤ人であるという理由だけで、パレスチナ人に殺された。

一緒に事務所にいたパレスチナ人の女性職員が、
「この人は私たちの味方よ! 私たちのために働いているのよ!」
と叫ぶ前で、何度も何度も刺されて殺されてしまった。

さらに、

あるアラブ系イスラエル人のタクシー運転手が、襲われて瀕死の状態だったユダヤ人兵士を助けた。

事件後、いくつかの脅迫電話があった。

「お前はユダヤを助けた。敵を助けたのだ。殺してやる」

 

敵同士であると言われた2人のアラブ人とユダヤ人は、その後いい関係を築いている。

そのユダヤ人、ダビッドは、
「アラブもユダヤも関係ない。同じ人間だ。その人間がどういう人間か、それがいちばん大切なことだ」
と言う。

ダビッドは、コーランの額縁を指さして言った。
「あれはおれには読めないが、おれを助けてくれたタウフィク(アラブ人)が大切にしているものだ。だからおれも大切にする。タウフィクは(イスラム教徒なので)断食をする。それはユダヤ教にはない慣習だが、タウフィクたちがそうしているのだから、おれは別におかしいとは思わない。宗教が違おうが言葉が違おうが、子どもたちは優しくしてくれる大人を好きになる。それでいいんじゃないのか」

悲惨な戦いが続いている国ですが、
個人レベルでは、戦いを望んでいない人も多いのではないか、と思います。

では、どうしたら争わずにいられるようになるのでしょうか。

「共感力」を持つ

再び、松本仁一さんの著書に書かれていた言葉を思い出しました。

「空はアフリカ色」松本仁一著、朝日新聞社

国際感覚を持つというのは、文化の違いを認めた上で、相手の中に共感できる何かを見つけ出す努力をすることではないかと思う。「共感力」といいかえることもできるだろう。劣等感と優越感ばかりでは、いつまでたっても共感力を身につけることはできまい。

育った環境も、国も、宗教も違う者同士、
わかりあえない部分だけを見つめていたって、うまくいくわけがありません。

大切なのは、互いに、自分にも理解できる部分を相手の中に見出すこと。

 

争わないで、
他者を蹴落として、自分が優位に立とうとしないで、共存していこうよ、
なんて、キレイゴトに聞こえるかもしれません。

確かに気持ちが悪いキレイゴトかもしれません。

でも、
例え合わない同士でも、相手の中に共感できる部分を見つけ出し、
その部分で付き合っていく、
離れすぎず、近付きすぎず、いい距離感を保つようにする――、

その場から去ればいいだけの問題ならば、去ればいいのでしょうが、
そこを去ることができない、どうしてもいい関係を築いていかなければならない必要があるならば、
キレイゴトだろうがなんだろうが、
こたえはただひとつ、

「共存」しかないのだと思います。

それは個人レベル、国レベルにとどまらず、
地球レベルで考えると、
地球上に住む動物、存在する自然、全てのものたちと、
私たち人間は、「共存」していくしかないのだと思います。

 

流れを変える、意識を変える☆
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