「嫌われ松子の一生」を観た。
画面には鮮やかな色彩がちりばめられ、キレイなお花が舞う。
ミュージカルっぽい要素もあったりして、最初からラストまで退屈することなく観ることができた。
うーん、しかし……
この映画の感想をどう表現したらいいのだろう。
全体的にコメディ的な雰囲気でありながら、内容的にはとっても切ないんですよねえ……
愛され愛することを求め続けた松子。
「殴られても、孤独よりはいい」
と言ってしまう松子。
この考え方が、そもそもの不幸の根源のような気がする。
だって、孤独がいいわけではないけど、殴られてもいいってことはないでしょう?
殴られて、傷つけられて、孤独を紛らわすのなんて、愛情とはいえないでしょう?
いえ、松子と関わっていた男たちは、殴ることも愛情表現の一環としていたのかもしれませんが。
でもそんな愛情表現をする男たちと関わっているのでは、少なくともしあわせな日々には向かえないと思う。
本当は松子に対する愛情を持っていたのに、それを上手く表現できなかった父親への想いの反動のように、松子はわかりやすい愛情表現をしてくれる男たちに惹かれていく。
もしかしたら、父親との関係によって、父親とは正反対のような男たちにしか惹かれない、というトラウマがあったのかもしれない。
倒れても倒れても、それでも前向きに生きていく松子は逞しい。
そして最期の時まで、「まだ出来るかも!」と名刺を握り締めている松子は、やっぱりとっても逞しい。
きっと松子はこんなふうにしか生きられなかったのだろう。
私はかわいそうな松子の一生、というよりも、方向性がちょっとズレちゃってたのかもしれないけど、ひたむきで逞しい松子の一生、というふうに受け止めた。
だって、何かに向かっていくときの松子は、いつだってとっても輝いていたもの。
気になったのは「人に何をしてあげるか、が大切」っていう台詞。
その通りなのかもしれないけれど、100%共感はできなかった。
というのは、自分が誰かのためにしてあげた、ってことが、必ずしも相手のためになっているとは限らないと思うから。
誰かのために何かをしてあげるっていうのは、結局は自分が「してあげたい」からしてることであって、それを「~のために」って思うことって重苦しい勘違いだったりすることもあると思うから。
所詮、自分勝手な自己満足だってこともあると思うし。
そういう心がけは素晴らしいと思いますけど。
あ、それと今更気付いたのですが、松子って実際にいた人じゃなくて、フィクションだったんですね……
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2006年6月12日 at 2:28 PM
考えさせられました・・・
私は小さい頃から、父に
「~をしてあげる、そう思うから見返りを期待してしまう。だから、私がこれだけしてあげてるのにっ!!なんて思うんだ。~をさせていただく、そう考えれば、見返りなんて期待しない。」と、言われてきました。
父の教えは、とても極端なことなんだと思うけれど、私もそうだよなぁと納得してしまうんです。
私は友達に「尽くしちゃん」と言われます。
なんでそこまでするの?って言われるくらいしてしまうことがあるようです。
でも、自分ではなんにも苦になってないんです。そういわれても???って思うくらい。
誰かのために”してあげる”
自分のために”させていただく”
でも、「自己満足」確かにそうですね。
私も自己満足でしか無いのかもしれません。
させていただいていたとしても、相手の方は、有難迷惑と思ってるかもしれないですね。
ごめんなさい。るか。さんの言われてるニュアンスとはちっとズレちゃいました・・・
でも、るか。さんの文章で、自分の行動を考えさせられたのです。
2006年6月13日 at 12:06 AM
この台詞、もう少し正確には、
「人に何をしてもらうかではなくて、人に何をしてあげられるのか、が大切」
というような感じだったと思います。
でも、この解釈も難しいというか(難しく考えてしまうというか)、人と人との関わりって、してもらったりしてあげたりの繰り返しだと思うんです。
してもらったら感謝し、してあげても恩着せがましくならない、という気持ちがあればいいのであって、どっちが大切、っていうことではないように思うんです。
お父様の「させていただく」気持ちを持つっていう教えは素晴らしいと思います。
時に人は「何かを誰かにしてあげる」場合、相手より優位にたったような気持ちになってしまったりすると思うんです。
「~をしてあげるのよー」って。
「させていただく」って思うことは、相手を敬うことになりますものね。
江戸小町さんは、きっとどんなに相手に尽くしても見返りを求めることなんてないと思うので、そのままでいいのだと思います。
尽くすことって、決して自分を犠牲にしているのではなく、尽くすことで自分の心が満たされることもありますものね。(自己満足というのとは違う意味で)
私は未熟者なので、見返りを求めるまではいかなくても、
「私は××してあげたのに、その思いやりのない対応はなんなのよー」
などとカチンときてしまうことがあるので、
「自分がしてあげたいからしてあげてる。ただそれだけのこと」
くらいに思うようにしていたほうがいいのです。
でも、”思いやり”は必要だと思いますけどね。笑
2006年6月13日 at 12:24 AM
江戸小町さん
W杯のショックで、よくわからないレスになってしまったかも。
ゴメンナサイ。
2012年4月2日 at 8:56 PM
僕はテレビドラマ版「嫌われ松子の一生」を最初に見ました。
そして映画版、小説ですね。
松子は、最初は教師だった。
修学旅行の盗難事件から見事に下り坂です。
風俗で働いて一時はたくさんの金を持つけど、そこからまた転落・・・・・。
妊娠しても流産。見ていて気の毒になります。
老いてからは、ゴミだらけのアパートに住んでジャニーズ系のグループの追っかけをする。
やっぱり誰かに尽くしたかったんですね・・・・。
2012年4月3日 at 1:32 AM
間諜X72 さん
こんばんは。
私も小説は読みました。
教師になったときまでは普通の人生だったんですよね。
そこから少しずつおかしくなってきて……
でも、
ブログの中でも書いていますが、
松子はやっぱりこういうふうにしか生きられなかったのではないかと思います。
人から見たら、とても不幸に思えるけれど、
案外、本人は幸せだったのではないかな、と。
幸せ不幸せということほど、主観的なものはないと思うので。
松子が幸せだと思っていたのなら、
松子はきっと幸せだったのだと思います。
2012年4月6日 at 6:21 PM
>松子が幸せだと思っていたのなら、
>松子はきっと幸せだったのだと思います。
まあ、結局はそう言う事なんですよね。
人生に対する評価は本人次第です。
家庭環境によって、その人の人生は随分左右されます。
僕も家庭環境が悪かったので・・・・・。
>「自分がしてあげたいからしてあげてる。ただそれだけのこと」 くらいに思うようにしていたほうがいいのです。
そうですよね。勉強になります。
ありがとうございました。
るかさんは、テレビ版はご覧になりましたか?
2012年4月7日 at 9:19 PM
間諜X72さん
こんばんは。
テレビ版は観たのかもしれないのですが、あまり記憶に残っていないので観ていないのかもしれません。
記憶があやふやで。。[E:sweat01]
何かをするときに「見返りを求めない」というのは、
見返りを求めてしまうと、結局苦しいのは自分なのではないかと思うので、
自己防衛的考え方でもあります。
見返りを求めないでいることは、何よりも自分が楽だと思うのです。
そういう心構えでいると、
自分がしたいことをして、
もしも相手が喜んでくれたら、
更に嬉しいってことになるように思います。
喜びも倍になりますよね^^