映画「ロストケア」が公開され、主題歌の森山直太朗「さもありなん」にぐっときて、観に行きたいと思ったけれど、リハビリ中のためレンタルを待つしかない状況。

そこで原作があると知り、先に原作を読むことにしました。

このブログでは、小説「ロストケア」(葉真中顕 著)を読んで感じたことなどを綴ります。
ネタバレ注意です!



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あらすじ

検察官の大友は、ある介護施設に「死亡のための契約終了」が不自然に多いことに疑念を持つ。

介護が必要な高齢者であっても、具合が悪くなれば入院するため、自宅で亡くなる率は少ないはず。

その死亡には、人為的なものが絡んでいると確信する。

犯人は死亡した老人たちの自宅に通う介護施設の職員だった。

43人もの殺人を行った「彼」が、最初に殺めたのは自分の父親。

介護が必要になった父親に献身的に尽くしていたが、その3年の間に20代だった彼の頭髪はすっかり白くなった。

それほど、認知症で変わってしまった父親を介護する生活は壮絶だったのだ。

介護のためにまともな収入を得る仕事に就くこともできず、父親の貯蓄も底をつく。

やがて僕は生まれて初めて、まともに三食たべられないという事態に直面し ました。

彼は意を決して生活保護を受けようとするが、却下された。

「この社会には穴が空いている。一度落ちてしまえば、容易には抜け出せない。
絶対 穴に落ちない安全地帯にいる人には、穴の底での絶望は分からない」
と彼は言う。

『もう十分だ。殺してくれ』比較的症状が安定しているとき、父親が言った。

彼は父親の願いを受け入れた。

殺すことで、父に報い、そして自らも報われるのだと思いました。

その犯行がばれなかったので、同じような経験をし、苦しんでいる人たちを救うことが「自分のやるべきこと」だと彼は思う。

「かつての自分が誰かにして欲しかったことをした」、自分は「喪失の介護(ロストケア)」をしたのだと。

介護が必要になった父親を富裕層向けの老人ホームに入所させた大友は、安全地帯にいる人間だ。

こんな事件を起こす者は良心を持たないサイコパスなのではないかという大友の予想は外れた。「彼」はサイコパスではなかった。

正義を突き付けることが人を追い詰める

「介護から逃れるために人を殺すのは身勝手な犯罪」「おまえだって本当は父親を殺したくはなかったはずだ」
と正義を振りかざしてくる大友に「彼」は言い返す。

もしも僕が本当は父を殺したくなんかなかったとしたら、殺した方がましだという状況を作ったのは、この世界(あなたたち)だ!

介護施設の不正が発覚したときに、正義を振りかざして責め立てる意見があった。

「介護ってのは、本当に無欲無私の精神で人様に尽くせる人しかやっちゃいけないんですよ!」

「介護で金もうけをするなんて言語道断」と。

安全地帯にいて、正義を武器にして攻撃してくる人たちが、まじめで献身的だからこそ苦しむ人たちをなおも追い詰める。

正論こそ、突き刺さるものはない。

苦しんでいる人たちは、「優しくありたい」と思い「そうできない自分を責めている」からだ。

わかっているのにできないから苦しんでいる。良心があるからこそ苦しんでいる。

相手の気持ちも考えず、正義を振りかざし攻撃する単細胞たちは、自分は正しいと「得意顔」だ。

みんなが同じ状況ではない。がんばろうとしても、がんばりきれないこともある。耐えられない状況もある。

なぜ、それを思いやる想像力を持とうとしないのか。

犯人の真の目的とは

「介護に苦しむ人を救いたい」

彼は犯行の動機について語るが、大友はそれが目的の半分に過ぎないと気づいた。

そして言う。

だが、お前が本当に望んでいるのは、人が人の死を、まして家族の死を願うことのないような世の中だ! 命を諦めなくてもいい世界、お前とお前の父親が落ちたという穴が空いていない世界だ!

多くの犠牲者と自分の命を懸けて、綺麗ごとのなかで暮らす人々の目を覚まそうとしている。そして、目を覚ました人々が社会を良い方向に変えていくことが、犯行の目的なのだと見抜く。

介護していた母親が犠牲者になった娘は言う。「(犯行によって)救われました。たぶん母も」

しかしその本音は調書に書かれることはなく、「母親を殺されて無念」という言葉にすり替えられる。

たとえ最初は「がんばってお世話をしよう」という気持ちがあったとしても、介護のあまりの過酷さにその気持ちもすり減っていく。

つらい、開放されたいと願ってしまうのは当然なのではないか。

尽くそうという気持ちが強い人ほど逃げることもできず、消耗して壊れていく。

苦しいと叫ぶ声は、安全地帯にいる人たちには届かない。逆に責められることすら起こる。

この社会には、愛とか絆とかいう綺麗ごとだけでは済まないことがある。

穴があり、そこに落ちて苦しんでいる人たちがいることに気付き、変えていかなくてはならない。

しかし社会を変えていくべきと訴える術は、こんな犯行しかなかったのか。

思考がゆがんでしまったのも、つらい介護の果てのことだったとしても、なんて悲しいことだろう。

嘆いているだけじゃ改善しない

高齢化社会への対応策として介護保険が施行され、介護ビジネスがスタートした。

良かれと思って始めたことでも、問題は発生する。

やってみなければわからないこともあるから、問題が発生するかもしれないからやらないというより、やってみて問題が発生してしまったら対処するほうに個人的には賛成だ。

そして問題が発生した場合、嘆いて、未来を憂いているばかりではなく、今ここからどうすれば良くなっていくのか改善策を練るべきだと考える。

個人的なことになるけれど、実は私自身、現在リハビリ生活を送っている。

介護保険の対象者ではないのだけど、介護の現場は目の当たりにしている。

常に人手不足。スタッフたちは懸命に動いている。

やる気があるスタッフは報われるべきと思うけれど、労働に見合う報酬はもらえていないようだ。

でも、嘆くばかりではなく、みんながんばっている。

このような作品によって、介護の世界がみんなこんなふうなのだと思われてしまうことが嫌だという意見もある。

また、日本の制度を責めるばかりではなく、個人的には経験を通して、日本の制度はしっかりできていると思っている。

私は日本の国民だったから、医療や福祉の制度によって助けられた。

高齢化社会、介護の問題についても、研究開発し、動いている人たちはいる。

介護の世界に活かせるAI技術も進んでいる。

AI化は人間から仕事を奪うものなだけではなく、人間を助けてくれるものでもあるはずだ。

特に体に負担が掛かる介助は、できるだけAIに任せられるようになれば良い。

ただ導入するにはコストが掛かる問題があり、事業所(もしくは家庭)によっては負担を背負えない。それをクリアする方法を整備しないと。

必要になった人が誰でも手厚い介護を受けられ、かつ、介護をする側に十分な報酬が支払われる――そんな未来は、どんな制度を作ろうとも、たぶんやってこない。

そうだろうか?

苦しみを理解し、少しでも良くなるようにと尽力している人たちがいるのも事実だ。

綺麗ごとだけじゃ済まされないのはわかっている。

でも、諦めるのではなく、今これからはいくらでも変えていけるはずだ。

この作品が問題提起であるのなら、今後を悲観するばかりではありたくない。

まじめで心がある人ほど苦しんでしまうことが、少しずつでも改善していく今後を目指したい。今を生きる一人の人間として。

 

映画の予告↓

個人的な経験↓

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ライター・校閲、心理カウンセラー、ムビラ弾き♪
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