ほぼ誰もが知っていると思われる薬。メンタームとメンソレータム。

緑色のパッケージも似ていて、中身も似ていて、よく見たら名前が少しだけ違うけれど、なにが違うのでしょう。

メンターム(薬用スティック)

メンソレータム(薬用リップスティック)

 

ずばり、製造販売元が違います!

メンターム→近江兄弟社

メンソレータム→ロート製薬

  • でも、こんなに似ているのってパクリなんじゃないの?
  • 近江兄弟社って、近江さん兄弟の会社?

浮かんでしまう2つの疑問についての答えは、

「NO!(パクリでもないし、近江さん兄弟の会社でもない)」

です。

メンターム(メンソレータム)を日本で初めて販売したのは、日本に帰化したアメリカ人、メレル・ヴォーリズです。近江兄弟社の創立者でもあるヴォーリズとは、どんな人物なのでしょうか?

ここが世界の中心です―日本を愛した伝道者メレル・ヴォーリズ



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キリスト教の伝道のため日本にやってきた

ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1880年10月28日、アメリカのカンザス州で生まれました。

身体が弱く正義感が強い少年で、音楽や絵画が好きでした。音楽については、小学生でありながら協会のオルガン奏者をつとめるほどの腕前。

また建築家になりたいという夢を持っていて、建築学についての勉強もしていました。

コロラド大学に進学しYMCA(Young Men’s Christian Association、キリスト教青年会)の活動を通し、海外に伝道に行くことを決意。

1905年2月、アメリカコロラド州から滋賀県八幡町(現:近江八幡市)の滋賀県立商業学校(現:滋賀県立八幡商業高校)に、英語教師としてやってきました。

滋賀県立商業学校は、1885年に、県立として初めてできた商業高校。全国から多くの生徒が集まっていたとのこと。

それにしても1905年(明治38年)に、アメリカ人が日本に来るというのは、とても珍しく大変なことだっただろうと想像できます。

実際、ヴォーリズについて書かれた本には、ベッドもなければ暖房もない純日本式の旅館に案内され、途方に暮れた様子が描かれています。

ヴォーリズ、解雇される

生徒たちからも慕われ、生徒たちを集めてバイブルクラスも行い、日本では初となる中等学校YMCAを創立。

建築を学んでいた知識を活かし、ヴォーリズ初めての設計となる八幡キリスト教青年会館を落成。

ところが、仏教徒も多い近江の町で住民たちからの反発を受け、英語教師の職を解雇されてしまいます。

――ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏は、西暦1905年2月より、滋賀県立商業学校において、英語科の教員でありました。その教授ぶりと、学生を教育し育てることに関しては、とても満足できるものでありました。同氏が解職されたのは、学生たちに聖書を教えて、キリスト教の信仰にいたるよう指導したため、そのことをもって、県民の大部分なる仏教徒の反対意志により解職したのであります。
明治40年3月25日
滋賀県立商業学校校長 伊香賀矢六

……解職されたのは気の毒だなとは思いますが、この時代に外国人がやってきて、自分が設計して建てた建物に若者を集めて伝道をしていたら、不審がられるというのは理解できます。

危険人物とみなされてしまうのも仕方がないのかな、と;

ヴォーリズ、建築事務所を始める

職を失っても、ヴォーリズは近江で伝道を続けることをあきらめませんでした。

「日本の風景はとても美しいし、人の心もやさしくて、あたたかいです。風景も人間も世界で一番だと思います。近江の八幡は、世界の中心です。わたしは、この近江に骨をうめようと決めました。近江の八幡は世界の中心なのです」

ヴォーリズは建築に関する知識を活かし、京都三条YMCAの一室で建築事務所(現、株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所)を開業。

西洋建築が求められていた波に乗り、日本各地で2000件を超える建築を引き受けることになりました。

(※ヴォーリズの代表建築については、コチラ。wikipediaに飛びます)

1910年には建築設計の仕事をやりやすくするため、「ヴォーリズ合名会社」を設立。

伝道活動も組織にしたほうが良いと考え、1911年1月、「近江ミッション」を結成。

アメリカのメンソレータム社の創業者A・Aハイド氏と会う

1913年、ヴォーリズはアメリカに帰った際に、メンソレータム社を経営しているアルバート・アレキサンダー・ハイド氏を訪ねます。ハイド氏はヴォーリズの日本での活動を支えてくれている一人でした。

ハイド氏は最初、石鹸を製造していましたがうまくいかず、日本製のメンソール(ハッカ)を主成分とした咳止め薬の製造も行っていました。

そこでメンソールの成分をほかにも利用できないかと考え、樟脳とペンシルバニア州のワセリン(ペトロレータム)を材料にし、傷薬の「メンソレータム」を製造。

販売し始めると売り上げはどんどん伸び、利益の一部を伝道の費用に寄付するようにしていました。

「メンソレータムのおもな材料、メンソールと樟脳(しょうのう)は日本でとれるんです。だからわたしは、メンソレータムの日本での代理販売権を、あなたがたにゆずろうと考えています。販売で得たお金を、ミスター・ヴォーリズの伝道の資金として使ってもらえれば、こんなうれしいことはありません」

ハイド氏のこの想いがあり、のちにヴォーリズは日本でメンソレータムの販売を始めることになります。

メンソレータムの評判が日本で広まっていく

メンソレータムの販売は始めていましたが、宣伝の仕方がよくわからず売れ行きはあまり良くありませんでした。

1920年には「ヴォーリズ合名会社」を解散、「近江セールス株式会社」と「ヴォーリズ建築事務所」を作りました。

最初、メンソレータムを小売店に売り込もうとしたものの、相手にされず、教会の婦人部を通して、少しずつ売り上げを増やしていきます

同年、1919年にヴォーリズと結婚した満喜子夫人が保育の仕事を始め、それがのちの「近江兄弟社学園」となりました。

近江兄弟社の誕生

1934年、近江兄弟社という名称が誕生します。

それまで「近江ミッション」として伝道活動をしていましたが、”ミッション”という言葉が適切ではないと判断、兄弟社=Brotherhoodのほうが良いと考えたためです。

近江兄弟社という名称には、近江の土地という意味と、皮膚の色も地位も関係ないという意味が込められています

ヴォーリズ、日本に帰化する

アメリカと日本が戦争になりそうな状況になっても、ヴォーリズはアメリカに帰ろうとはしませんでした。

「わたしは日本が大すきなんだ」

ヴォーリズは日本に帰化することを決意。

奥さんである一柳満喜子夫人の家に籍を入れることにします。

日本名はミドルネームを漢字にして「一柳 米来留(ひとつやなぎ めれる)」。

米来留(めれる)は、アメリカ(米)から来て、日本に留まる、という意味です。

1945年、終戦の際には、天皇についての重要なメッセージをマッカーサーに伝えて欲しいと頼まれたという話があります。

詳細は明かされていませんが、ヴォーリズがマッカーサーに直接会ったわけではないようです。

病に倒れ療養生活

1957年、77歳のとき、ヴォーリズは病に倒れます。

その後、近江八幡の自宅で7年間の療養生活に入り、1964年5月7日に亡くなりました。享年83。

近江兄弟社グループの活動は、ヴォーリズ亡き後も続いています。

近江兄弟社のメンソレータム→メンタームへ

メンソレータムの販売を行っていたのは、近江兄弟社グループの中の株式会社近江兄弟社です。

1974年、業績不振により倒産。そのため、メンソレータムの販売権を手放すことになりました。

このメンソレータムの販売権を獲得したのが、ロート製薬です。1988年にはメンソレータム本社もロート製薬に買収されることになります。

再建を模索する近江兄弟社に、大鵬薬品工業の当時の社長、小林幸雄氏から1,000万円が贈呈されます。

しかしメンソレータム社との交渉は断られてしまい、近江兄弟社は商標登録してあった「メンターム」の名称を使い、製造販売を始め、再建の足がかりとしました

大鵬薬品工業から贈呈された1,000万円は、資金には充てず、「大鵬基金」として定期預金したそうです。

以下、wikipediaより。

「善意に応えなければ」という再建に取り組む社員の心の支えとなり7年後に黒字転換、1982年7月20日、小林社長に対して〝報恩感謝〟の業績報告を果たしている。また、この小林社長の〝善意〟は「困窮の時に助けて頂いた私達が、今度は社会で困っておられる皆様に恩返しをする」という近江兄弟社のニコニコ活動の原点となった。

憎む者は、その憎まれる者よりもずっと傷つく

こういう理由で、メンソレータムとメンタームが誕生しました。

私自身は無宗教です。宗教については語れません。

ヴォーリズのことを知る中で心に残ったのは、教師の職を失ったとき、勉強していた建築学の知識が役に立ったということ。

なにが助けになるのかわからないのだから、できるときにできること、したいことを身につけておくことは心がけたほうがいいですね。(芸は身を助く?)

手にしていたものを失ってしまったときに、

「自分が持っているもの(できること)があるのを忘れていないか?」

を考えてみるのは大切

メレル・ヴォーリズと一柳満喜子

一柳満喜子さんはヴォーリズ夫人です。

以下は、こちらの本からの引用。

メレルは、愛は憎しみよりもはるかに強い力があるということ、すなわち憎む者は、その憎まれる者よりもずっと傷つくのだという説明を、あんなにも落ち着いてできなかっただろう。

これはヴォーリズの活動を妨害しようとした生徒たちに対して、ヴォーリズが行った対応です。

印象に残ったのは、「憎む者は、その憎まれる者よりもずっと傷つく」という部分。

メンソレータム、メンタームということを切り離して、この言葉は印象深かったです。その通りだなって。

誰かを憎むのは、決して心地良いことではないです。

でも憎しみが生まれる背景があったわけで、その自分の中の感情にどう対処するのかを誤ってはいけない。また憎しみを抱えている人に対して「そんな気持ちは捨てなさい」と責めるのではなく、その人の心の傷に気づく目線も必要。

 

メンソレータムとメンタームの違いについて知る機会があったので、詳しく調べてみました。

ヴォーリズのようにストイックに生きることは難しいと感じましたが、日本をここまで愛して、その後の日本に影響を与えてくれた人物がいたということを知れたのは良かったです。

商品の背景も知ると、使う時の気持ちも少し変わってくるのではないでしょうか。

W.M.ヴォーリズ ライブラリ: http://vories.com/

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