知人から誘われて、久しぶりに映画を観た。

フランス映画。
「大統領の料理人」
実話らしい。

~あらすじ~(公式サイトより)
片田舎で小さなレストランを営むオルタンス・ラボリがスカウトを受け、連れて来られた新しい勤務先はエリゼ宮。そこはなんとフランス大統領官邸のプライベートキッチンだった。
堅苦しいメニューと規律と縛られた食事スタイル、嫉妬うずまく官邸料理人たちの中で、彼女が作り出すのは「美味しい」の本当の意味を追求した料理の数々。
当初、値踏みするような目で遠巻きに眺めていた同僚たちも、いつしか彼女の料理の腕と情熱に刺激され、彼女のペースに巻き込まれ、官邸の厨房には、少しずつ新しい風が吹き始める。
やがて、大統領のお皿に食べ残しがなくなってきたある日、彼女に直接声をかけてきたミッテラン大統領の口から意外な話が飛び出す-。

映画鑑賞後の知人と私の会話。

私「主人公の女性シェフは”我が強い”といえるのだろうか」
知人「”我が強い”っていうのとは違うんじゃない」
私「そっか、職人が自分の仕事に妥協しないのは、”我が強い”っていうのとは違いますよね。自分ではアーティストと言っていたけど」
知人「フランスでは料理人は芸術家だから」
私「あの場を去ることになって、結局、彼女は負けたってことなのかな」
知人「負けとか勝ちの問題じゃないと思う」
私「戦い続けて、”疲れた”って言って、去ることになってしまって」
知人「引き際だと思ったんじゃないかな。あそこでは周りとうまくいかなかったけど、他の場所では歓迎してくれたんだから」
私「ここでは周囲とうまくいかない、と思った時、そこでうまくやることに固執せずに、場を変える方が賢いんでしょうか……」
知人「引き際を潔くするのはカッコいいよね」

映画を通して、いろいろ考えさせられた。

”我が強い”ということについて。

私は自分の意見を持っている人が好きだけど、
自分の考えが絶対に正しくて、他者にもそれを押し付ける人は嫌いだ。

自分が絶対に正しいだなんて、視野が狭すぎだし、
一つの方向からしか物事を見られない故の考え方だと思う。

ましてや、自分を正として、他者の考え方を間違っている、と決めつけ、説教してくるなんてあり得ない、と思ってしまう。

他者に対して批判的で、
自分を客観的に見られない、
そういうのを”我が強い”というのではないだろうか。

(自分とは意見は違うけど)そういう考え方もあるんだな、
とか、
自分にも悪いところがあるのかも……、
などと、客観的、多角的な視点を持てる人は決して”我が強い”とは言えないと思う。

でも、誰に何を言われてもぶれない信念を持つことも大切で、
例えば、この映画の女性シェフが自分の仕事に妥協を許さなかったのは、
”我が強い”のではなく、
(料理人として)そこを失っちゃダメでしょ、
ってところなんだと思う。

精一杯やったから、自分の引き際も受け入れることが出来て、次の道へ進んでいくことができたのでしょう。

我を押し通す、
と、
信念を失わない(ぶれない軸を持つ)
は違うし、
逃げる、
と、
身を引く、
は違うのだと思う。

見極めにくいけれど、
ここを間違えてしまうと、
ただの意地っ張りの負け犬みたいになってしまうのかもしれない。

ま、
人から「負け犬」と言われようと、
自分自身にぶれない軸があれば、揺れることはないのでしょうけれど。

ん? こういう考え方が”我が強い”のかな?

ん~、難しい!

今回、特に”我が強い”について考えてしまったのは、
”我が強い”という言葉は良く使われるけれど、
はたして”我が強い”とはどういうことなんだろう、とちょうど考えていたからです。

ちなみに、映画を一緒に観た知人は、
「私は生まれ変わったら、あんなふうに強く生きたい!」
と言っていました。(笑)




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