以前にも2回ほど、「風に立つライオン」の記事を書いているので、これが3回目。
「風に立つライオン」(さだまさし著、幻冬舎)を読んだ。

これは、さだまさしさんの名曲、「風に立つライオン」の小説版、
2015年には映画化されるという。

この曲は何度聴いても泣いてしまう。
なんで泣けるのかわからなけれど、泣いてしまう。

小説も読んでいて涙ぐむことしばしば。
電車の中で読んだので困ってしまった。

この作品は実在の人物をモデルにしている。

1960年代後半、ケニアのナクールにある長崎大学熱帯医学研究所に出向した柴田紘一郎医師。

今まで曲を聴くたび、考えてしまう歌詞があった。

♪やはり 僕たちの国は残念だけれど
何か大切な処で道を間違えたようですね♪

私たち日本人は何を間違えてしまったのだろうか。
間違えたのなら、今を生きる私たちはその道を正していかなければならないけれど、
どう正していけばいいのだろうか。

小説は航一郎(小説ではこの漢字)を取り巻く人々が、彼のことを語る形で展開されていく。
印象的だったところ。

マーサイ(マサイではなく、正確にはマーサイらしい)の戦士たちと滝を見に行った時のこと。

「滝って凄いですね」
と航一郎が言う。
「だってあんなに水が落ちてくるってことは、あの上にそれだけ沢山の水があるってことでしょ?」

※引用※

「滝があるってことはその上には滝を作るだけの水があるってことなんですよね。それが涸れないってことは、涸れないだけの理由があるんですよ」
思いがけない言葉でしょ? なんだか僕、分からないなりに感動したなあ。
「先生、滝の水って一瞬たりとも止まらないんですよ。落ち続けてるんですよ。それでも涸れないんですよ。生きてるんですよ。いやあ、滝って凄えなあ」
あいつ泣きそうになって感動してるんだよ。さっきはその水を飲んでる写真なんか撮らせたくせにさ。
「涸れちゃ駄目だ」ってあいつ、必死に自分と闘ってたんだろうなぁ。実際ビクトリアの滝はザンベジ川の水量が支えてるんだものね。ナイアガラもそうだろ? 大きな水源がなければ大きな滝なんて生まれないってこと。人も同じだ、って航一郎は言ってたんだな。ずっと凄い滝でいるには自ら巨大な水源であれ、ってこと。確かに僕らはね、自分の心の水源が涸れることで自分という滝を失うんだろうな。

※引用※

「ガンバレ」は激励のエールだと和歌子は私に説明したが、後に航一郎が、それは「人に向かって贈るエールではない」と説明した。なぜならば人は誰でもがんばって生きているのだから、その人に「もっとガンバレ」などと他人が言うべきではない、と言った。
それでは誰に贈るのかと聞いたら、航一郎は「自分自身にだ」と答えた。
自分が情けないとき、心が折れそうなときに、自分を励ます言葉なのだそうだ。

12歳の頃、負傷し、航一郎に出会ったケニアの少年が大人になり医師になり、日本の被災地を訪れる。

※引用※

でも、もしもあなたの心が報われなくとも決して絶望しないこと。”愛”は、決して諦めることなく投げ続けること。自分の都合で人に求めないこと。
ンドゥング。
航一郎が好きだった言葉を贈ります。
『飽くことなく与え続けてください。しかし残り物を与えないでください。自分が傷つくほどに与えつくしてください』
マザー・テレサの言葉です。

私たち日本人は、
与えることを考えず、求めて求めて、
求めているのに報われなくて、
心は空虚、
なのかもしれない。

心の水源は空っぽで、心が涸れて、ヒリヒリしているのかもしれない。

痛むから、満たされたくて求めるけれど、求めるばかりだから何も満たされない。

痛む心では正常な判断が出来なくて、どんどん苦しい状況に向かってしまう。

このままでは自滅。

本当は、
与えることで満たされる心があるんだよ、
っていうことに気づくべきなのかもしれない。

しかし、
”傷つくほどに与えつくす”
という言葉には痛みすら感じます。

そう感じる私の心が既に”間違っている”のかもしれませんが。

心の水源を満たすために何が出来るのか、
どうしたら心は潤うのか、考えてみよう。

そのあたりに「間違えてしまった道を正す」ヒントがあるように思う。

「風に立つライオン」、名曲ですが、小説もおススメです。

そして、
やっぱり、この曲聴いてみましょう。
さだまさしさんの「風に立つライオン」



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