映画「ビブリア古書堂の事件手帖」を観た。(キャスト:黒木華、野村周平、成田凌、夏帆、東出昌大 監督:三島有紀子)

ネタバレもしますが、この映画はタイムリーに私へのメッセージのようでもありました。

そしてぜひ、このブログは、

何かに挑戦して、結果を出せなかった(賞に応募したけど落選したなど)」

の経験を持つ人、今まさに、そういう状況の人に読んでいただきたいです!

ブログよ、届けーーーーー!

**この先、ネタバレ注意**



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あらすじ

舞台は鎌倉、「ビブリア古書店」。

海の音と、鎌倉のレトロな雰囲気が映画全編を通して漂う。

五浦大輔(野村周平)は、祖母の絹子の遺品の本に記された”夏目漱石”のサインが本物なのか確かめるためにビブリア古書店を訪れる。

夏目漱石「それから」

 

古書店の店主、篠川栞子(黒木華)は、そのサインの真偽と祖母、絹子の若き頃の秘密の恋について解き明かす。

夏目漱石の「それから」に記されたサインは偽物だった。

そして、夏目漱石のサインと並んで、本の謹呈相手として記されていた「田中嘉雄」こそ、祖母の絹子の恋愛の相手。

50年前、太宰治に憧れている作家希望の青年だった田中嘉雄(東出昌大)は、食堂で働いていた絹子に恋をした。

絹子は既に食堂の店主の妻だったが、若い2人は惹かれあっていく。

嘉雄は絹子におすすめの本を紹介しながら、自分の小説を書き上げ、本が出版されますようにと、出版社に原稿を送る。

しかし、出版社からは、不採用の手紙が届く。

失意の中で、親が決めた相手と見合いをする嘉雄だったが、どうしても絹子のことが諦めきれない。

「2人で逃げよう、作家は諦めて2人の生活のために働くから」

駆け落ちを決意するものの、結局、絹子が待ち合わせの場所に現れることはなかった。

絹子は夫から、お腹の中の子(嘉雄の子供)は、「俺の子供として育てる」と言われたのだった――

現代と50年前、2つの時代が交錯する

現代のビブリア古書店での大輔と栞子、50年前の嘉雄と絹子の時代が交互に描かれていく。

ビブリア古書店が所有する、太宰治の直筆メッセージが入った「晩年」の初版本をなにがなんでも手に入れたいと脅迫してくる人物の正体は、本好き同士で知り合った稲垣(成田凌)だった。

太宰治「晩年」

 

そして、稲垣の祖父は、大輔の実の祖父に当たる田中嘉雄。

稲垣を含め、大輔と栞子は、田中嘉雄が執筆し、出版されることがなかった小説を読むことになる。

それは、絹子と嘉雄の、実らなかった恋をモチーフにした作品だった。

採用されなかったときの田中嘉雄の気持ち

「この作品が出版されたら、絹子と……」

絹子を想いながら書きあげた小説は、嘉雄にとって自信作だった。

しかし無情にも出版社からは、不採用の通知が届く。

 

私は、「誰かの気持ちがわかる」と言い切ることをしたくない。

だって、わかるわけがないから。

想像はできても、他人の気持ちが理解できるわけがない、

「わかる」と言うのは傲慢だとすら思っている。

 

でも、言いたい。

今回は、言いたい。

「自信作が認められなかった気持ち、わかる!」

って!!

何故なら、私にも同じような経験があるからです!

 

「自慢かよ!」

と突っ込まれる前に、自分で言います。

自慢ですけれど(いえ、自慢にもならないかもしれませんが)、書きあげた小説が出版予定まで行ったことがあります。

賞の最終選考まで残ったこと、あります。

受賞作の1作が、単行本に掲載されたことあります。

そして、

「これはいける!」

と思っていた作品の「落選通知」がきたこともあります。

 

そのときの、真っ暗闇の中にポツンといるような気持ち。

誰と戦って、何に負けたのか、見えない大きなものと戦って叩きのめされたような気持ち。

自信があっただけに、きつい。涙が止まらない。でも、なんで泣いているのか、悔しいのか悲しいのかもわからない。

どう気持ちを切り替えて、どこに向かっていけばいいのかもわからない。

 

敢えて言葉にするなら、この心理状態は「絶望」が近いかもしれません。

「好きなことは趣味で続ければ?」

嘉雄は作家になることもできず、絹子と結ばれることもなく、人生を終えました。

作家になることを切望したのに、嘉雄の小説は出版されることもありませんでした。

でも、嘉雄の出版されることがなかった小説は原稿のまま遺されていて、孫の稲垣や大輔、栞子に読まれることになります。

 

私は思いました。

「嘉雄は有名作家にはなれなかった。だから嘉雄の小説を多くの人が読むことにはならなかった。でも時を経て、大切な人たちに読んでもらえたのだから、それで十分なのではないか」

って。

 

見出しにした、

「好きなことは趣味で続ければ?」

というのは、プロの作家になれない私が、今日、友達から言われたことです。

 

でも違うの、そういうことじゃないの、と実は言いたいです。

私にとって、表現するということ、思ったことを別の形にして人に伝えるということは、単なる”好きなこと”ではありません。

だから、才能があるとかないとか、お金になるとかならないとかに関わらず続けていきますが、「趣味」と言われてしまうと、言葉が軽すぎて違う気がします。

「趣味で楽しくやってます」

というのとは違う、しかし「仕事でやってます」とは言い切れない、

表現すること、それを伝えていくことは、私そのものであり、人生を通しての自分の役目です。

そのことが、たった一人にでも、届けばうれしい。

たった一人に喜んでもらえても売れっ子にはなれないけれど、一人の心にでもきちんと届けられれば、すごくうれしい。

だから以前、自費出版したときに、こちらが感動してしまうような感想をもらえたときは嬉しかったし、友達の一人からは「ある意味、命の恩人」とまで言われて、もう、本当に、迷いながらでも出版して良かったと思いました。

 

そうだ、たった一人の心に届くだけだっていいんだ、

誰かの心に心地よいものとして届けばいい、

あらためて基本的なことを思い出しました。

大切なのは、それだって。

そんなわけで、冒頭にも書きましたが、私にとって「タイムリーなメッセージ」にもなった映画でした。

 

心を込めて、気合を入れて、何かに挑戦したのに結果を出せなかった方たちへ。

「結果を出さなくちゃ意味がない」

のはわかっているけど、言います。「そのときの結果だけがすべてではない」って。

そのときの精一杯の結果だったのなら、ひとつの経験にしていけばいいんです。

そのことが、誰かの心に届いて、なにかの励みになったのなら、素晴らしいこと。

 

認められない=価値がない

じゃないですよ。

「結果を出さなくちゃ意味がない」のだとしても、そのことを好きだと思う、そのことに対しての想い、魂の輝きを忘れないでください。

本来の自分の気持ちを確認しながら進んでいくことを忘れないで。

本のページをめくる、ゆったりとした時間

「ビブリア古書堂の事件手帖」を観てほっこりしたのは、登場人物が本のページをめくりながら内容を堪能するゆったりとした時間の流れ。

本のページを繰る感覚、いいものです。

文字が織りなす物語が頭の中で展開されていくのを、のんびりと楽しめていた時代がありました。

今は時間に追われて、本も流し読み。ドキドキわくわくしながら、本を読んでいたあの時間、なんて豊かでしあわせだったのでしょう!

 

ミステリーとして観ると、犯人はすぐわかっちゃうので、物足りないかもしれません。

でも、本を堪能する素晴らしさとか、ゆったりと流れる時間とか、せつない心情などはたっぷりと味わえる作品です。

鎌倉の町とBGMの海の音、いいですよ~^^

ビブリア古書堂の事件手帖 ~扉子と不思議な客人たち~ (メディアワークス文庫)

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