「癒し」
という言葉が普通に使われるようになったけれど、この言葉が多用されるようになったころ、すごく気持ち悪いなって感じていたことを思い出した。

そのころ、ライブに足を運んでいたバンドの曲を久しぶり~にYOUTUBEで見つけて聴いて、懐かしくなったから。



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「街は沸騰している」by TAKU BAND

今は活動休止?なのかな?

TAKU BANDの「街は沸騰している」


 

ひゅ~っ!

このバブル感!!

当時はもうバブルははじけていたけれど、

「バブルを感じますね~」

と感想を言っていたのを覚えている。

私自身はなぁんにもバブルの恩恵にあずかっていないのだけど。。。

 

↓歌詞の抜粋↓

権力を振りかざすような
摩天楼に押しつぶされて
愛し合うことなどできない
だけど憎むこともできない

挫折と夢と欲望で
街は沸騰している

(中略)

人はみな平等だなんて
誰がつくった御伽噺(おとぎばなし)
しょせん 俺も 君も あんたも
人を蹴落とすのが大好き

癒されたい人たちが街を行進している

この曲を聴いて思い浮かんだ感想をもうひとつ、(ミュージシャンに)伝えていたような記憶がある。

「今の時代は、疲れた人たちが、ただ受け身に”癒された~い~、癒された~い”って街を行進している気がします」

 

ただ”受け身”

これがめちゃくちゃ当時、現代っぽいと思ったのだ。

受け身はおかしいんですよ。

本来、傷は自分で”癒す”もの

誰かに癒してもらうものではないんです。

他者の力を必要とすることもあるのはわかる

ダメージを負ったときに、他者の力を必要とすることもあります。

それはいいんです。みな、支え合って生きているのだから、ひとりではどうにもならないこともあるのだから。

苦しいときに、

「私は苦しいです。助けてください」

というのも勇気ですしね。

まあ、勇気ではないけど、私自身めちゃくちゃ弱音吐きますし^^;

 

でも、周りがどんなに力を貸しても、本人が力を出さなければ、ただ受け身なだけなのでは立ち直れないんです。

「ダメージを負いました。だから癒してください」

ではない、

自分の傷を癒して、立ち上がる力を取り戻すのは、自分にしかできないことです。

そこは踏ん張らなくては。つらくても、力振り絞らなくちゃ。力を貸してくれた人たちに申し訳ないでしょう。

癒したい人、癒されたい人

勧誘の電話を受けたことを思い出した。

「”なんとかセラピー”をやっているんです。一度来てみませんか? タレントの××さんも来るんですよ~」

とか。

 

「毎日、疲れますよね? 疲れてるんでしょ? だったら癒して差し上げます」

 

いえ、疲れてても、”なんとかセラピー”はいらないですから。

 

当時は……、今もなのかな? 癒したい人と癒されたい人がいた。

「疲れた、癒されたい、誰か癒して~」

と、ただ受け身で癒されたい人と、

「疲れていますよね? だったら癒してあげますよ~」

と、癒すことを商売にしている人と。

 

他者の力が必要なこともある、それはわかる、それはいいんだ、

でもなにかが違うんだ。

 

根本的に、

傷は癒してもらうものじゃない、自分で癒すもの

なんですよ。

 

それは自分がダメージを負ったときも同じ。

他者の支えや力を必要とすることもあって、力になってもらえたら、とても嬉しくて感謝なんだけど、他者にどうにかしてもらうのではない、

自分の力で踏ん張って、立ち直らないといけないんです。力を貸してくれた人たちの気持ちを尊重する意味でも。

 

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