映画「悪人」(監督:李相日 キャスト:妻夫木聡、深津絵里)を観た。

気になっていた映画ではあったものの、ラストまで観ても救いようがない映画かもしれない、と思っていた。

そして観終わった後、思ったのは、救いがあるとかないとかではなく、
「なんて深い映画なのだろう」
ということだった。

ところどころ涙がこみ上げてくる場面があったのですが、一体自分がどの場面で、なにを思って泣いたのか、観終わった直後ですら思い出せないほど、心理描写が複雑で、でもリアルなストーリーだった。

誰がどうして、どう思ったから、感動したとか、悲しかったとか、一言では表せないのだ。

※この先、ネタバレあり。

一番、考えさせられたのは、警察が踏み込んでくる直前に、祐一が光代を殺そうとしたことだ。

「なんで?」
と思うと同時に、私には祐一の心理がわかるように思えた。

原作だと違う解釈になるようなのですが、私は原作を読まずに映画を観た。

そんな私は思ったのだ。「この場面、素晴らしい」と。

例えばあの場面で、祐一が光代を殺そうとしたりせずに逮捕されたとして、
そして光代が、
「いつまでも待ってるわ」
と言い、祐一が涙ぐみながら切なそうに光代を見つめたなら、私は別に「素晴らしい」とは思わなかっただろう。

「祐一はそれほど悪い人じゃなくて、あの殺人は一時の気の迷いだったのね」
という、ありがちといえば、ありがちな感じで終わっていたでしょう。

(あくまでも原作を読んでいない私は)あの場面は、人間の内部で表裏一体となっている『愛と憎しみ』『自己愛と自己嫌悪』、そして”憎しみ”や”自己嫌悪”は”怒り”や”暴力”につながるということを見事に表していると思ったのだ。

わかりにくいと思うので、たとえ話で説明すると、
仮に私が悪いことをしたとして、
周りの人たちにひどく責められ、人間性を否定されるような暴言をぶつけられたとしたら、
「私はそんなに悪いだけの人間じゃない!」
という非難に反発する気持ちが自分の中にわき上がってくると思う。これが”自己愛”。

しかし自分は確かに悪いことをしてしまったという自覚もあるでしょう。

そこに自分を信じてくれる味方が現れ、優しい言葉をかけてくれたら、嬉しいと思う。

相手の気持ちに”愛情”を感じると思う。

でもその人があまりにも一途に自分のことを想ってくれたなら、
そして、自分のために追いつめられている様子を目の当たりにしたなら、
自分は悪いことをしたという自覚はあるわけだから、

「こんな自分のために、この人は苦しんでいる」
「ここまで想ってくれなくていいのに」
「本当は自分が悪いのに」

という”自己嫌悪”が大きくなってくることでしょう。

なんで自分はこんななんだろうという、自分に対する”怒り”は、
自分のために苦しんでいる存在を否定したい、消してしまいたい、
という相手に対する”怒り”につながっていき、そして暴力を引き起こす。

もっと簡潔に説明するなら、
実際に悪いことをしたのに、

「あなたは悪い人じゃない、私にはわかってるわ!」

しつこく言われ続けたら、
最初は優しくしてもらえて嬉しいと思っても、だんだんと相手の愛情が鬱陶しくなってくるのではないかと思ったのだ。

そして、
「私はあなたが思ってくれてるようないい人間じゃない!」
って反発してしまうのではないかと。

(しつこいですが)原作を読むと、違う解釈になるようなのですが、原作を読んでいない私は、この場面をこのように解釈し、”善”の部分が強調され続けるよりも、ずっとリアルだと思ったのだ

その他、パンフレットを読んで思ったこと。

祐一を演じた妻夫木聡さんのインタビューの、
”祐一はなぜ地元から出て行かなかったのか”
という部分を読んで、
「そういえば、不思議だなあ」
と思った。

何故、友人も娯楽もない地元から、出て行こうとしなかったのか。

私が考えた祐一が地元を出て行かなかった理由は、この疑問を発した妻夫木さんの解釈とは違うかもしれない。

私はその理由を、祐一の優しさだと解釈した。強い優しさではなく、弱い優しさ。

祐一は自分を頼りにする祖父母のもとから離れられなかった。

それは祐一の優しさだったのだろうけれど、結局、その生活に彼自身が潰されてしまう。故に、彼の優しさは”弱い”。

私は”強い”人間なんていないと思っているのですが。みんな弱くて、要は強くなろうとするかしないかの差だけだって。

でも祐一には”祖父母のもと、地元から離れる”という選択をする強さを持つことも必要だったのではないか。

離れたとしても、その先違った楽しい生活が待っていたかはわからないので、全ては結果論になってしまいますが。

また深津絵里さんのインタビューの言葉、
”祐一を引き止めたのは、最終的には「離れたくない」という自分の欲だけですもんね”
というのを読んで、
「言われてみれば、確かに!」
と頷いてしまった。

光代の献身振りは、一見祐一に対する深い愛情に思える。

しかし、違うのだ。

祐一と一緒にいたい、彼を信じたい、ひとりになりたくない、という光代のエゴに過ぎなかったりもする。

祐一が殺人者であることに間違いはないのだから、本当に祐一を思うのであれば、その責任をとらせるために出頭させることこそが真の愛情なのだ。

「誰が本当の悪人なのか」
とか、一人の人間の中にある善と悪など、
よく言われているようなテーマの他にいろいろなことを考えさせられる作品だった。




スポンサーリンク


↓ポチっとよろしくです!
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう