映画「CONTROL」(監督:アントン・ビーコン、キャスト:サム・ライリー、サマンサ・モートン、他)を観た。
~ニュー・オーダーの前身として今や伝説のバンド、ジョイ・ディヴィジョン。 そのヴォーカリスト、イアン・カーティスが駆け抜けた短くも波乱の生涯を描いた衝撃の話題作~
という謳い文句のこの映画は、イアン・カーティスを描いたドキュメンタリー風の映画である。
”JOY DIVISION”も”イアン・カーティス”も全く知らなかった私ですが、この映画は「観たい!」と思った。
それはイアン・カーティスが患っていた”てんかん”という病気が、ブライアン(ジョーンズ)に重なったことが大きかった。
ブライアンも、きちんとした診断はされていなかったけれど「側頭葉てんかん」を患っていたのではないか、といわれているので。
**以下、あらすじ。**
1956年7月15日、イアン・ケヴィン・カーティスはマンチェスターに生まれる。
1970年代のイングランド北西部のマックルズフィールドは、まるで活気のない町だったが、16歳のイアンは自宅の部屋で、MC5、ドアーズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ロキシー・ミュージック、デヴィッド・ボウイの音楽に浸りながら、楽器を演奏できなかったにも関わらず、音楽に人生を捧げようと心に誓う。
1975年、19歳でデボラと結婚したイアンは、地元の職業安定所で働きながら、1976年にはバンドを結成し、ヴォーカル兼ソングライターになる。
1978年、ロンドンでのコンサートを終えた帰宅途中、最初のてんかん発作に襲われる。医師にたくさんの薬を処方されるが、あまり効き目がなく、その後も発作に苦しむことになる。
1979年、娘が生まれ、イアンは父親になる。
バンドの人気は盛り上がっていくが、イアンは妻デボラに対する関心を失っていき、バンドにインタヴューをしたベルギー人女性、アニーク・オノレと愛人関係になる。
デボラにアニークの存在に気付かれ、イアンは「アニークとの関係は終わりにする」と言いながらも、その約束を守れない。
妻と愛人の間で揺れ、また発作の恐怖から、イアンは薬物を大量摂取し自殺しようとするが、未遂に終わる。
バンドのアメリカ・ツアーが近付いてきた。
家に戻り、デボラに「離婚しないでくれ」と頼むが、デボラはアニークと別れられないイアンの本音をつき、口論となる。
デボラを追い出し、一人家に残ったイアンは激しい発作を起こす。
発作がおさまり、目を覚ましたイアンはキッチンで首吊り自殺をし、帰宅したデボラに発見される。
それは、アメリカ・ツアーに出発する日、1980年5月18日のことだった。イアン・カーティス、享年23。
――イアンが患っていた”てんかん”は、ブライアンが患っていたとされる”側頭葉てんかん”とは違うようです。
側頭葉てんかんの発作は、人からも、自分さえも気づかないような発作だそうなので。(一時的に意識を失う、記憶が飛ぶ、等)
イアンの発作は、突然倒れて、痙攣、過呼吸に襲われるなど、他人からもわかりやすい状態になる。
この、”てんかん”というもの、いわゆる脳の病気なのだそうですが、原因不明とされる場合が多く、誰でもある日突然かかってしまう可能性があるそうだ。
とりあえず考えられる発症理由として、ストレス、睡眠不足、アルコール、などがあり、治療方法も人によって違うらしい。
でも、ステージでいきなり発作に襲われるイアンの様子を観ていると、「怖かっただろうな」と思う。
自分のコントロールがきかなくなり、いきなり人前で倒れて痙攣してしまうなんて、本当に怖ろしい。しかも、それを抑える有効な方法がないのだから。
献身的な妻がいて、愛情を注いでくれる愛人もいて、夢であった音楽活動もできるようになったイアンを自殺にまで追い詰めたものはなんだったのだろう。
妻のデボラが、愛人の存在を認めてあげれば、イアンは救われたのだろうか。
イアンは妻にも愛人にも誠実になれない自分に嫌悪感を持ったのだろうか。
病は、イアンを追い詰めた大きなものだったと思う。
その病への不安を和らげる手助けとなるものはなかったのだろうか。
自殺未遂のとき、イアンはデボラにこう書き残した。「もう戦いたくない アニークに愛を」
妻に愛人への想いを書き残すイアンの気持ちとは?
”もう戦うことに疲れた”と感じてしまったことがある人は、案外多いのかもしれないけれど、それがすぐに”自殺”に結びつくことは少ないと思う。
もしかして、有効な治療法がなかったとしても、一緒に戦ってくれる信頼できる医師がいれば、イアンの不安も少しは軽くなったのかもしれない。
全編、モノクロ映像。
語られることなく伝わってくる、イアンの苦悩。
この映画を観て、私にはイアン・カーティスは、カリスマ性のある天才アーティストというよりも、もっと普通の人に思えた。
好きな音楽に心を躍らせ、付き合っていた女性と結婚をして家庭を築き、そこでありきたりな安定した生活に幸せを感じられるような、普通の人。
ただ彼には才能があって、それが注目をあびるようになった。
それも彼にとっては、幸せなことだったであろう。
でも得るものが増えるにつれ、今までの平凡な幸せが色あせたつまらないものに見えてきた。
イアン・カーティスを伝説の天才アーティストという見方でくくってしまっていいのだろうか。
スターである前に、一人の人間として苦悩していた彼の心を少しでも理解しようとすることが、大切なように思えた。
たくさんのことを問いかけられている作品というふうにもとれた。
袋小路に追い詰められてしまった彼が、そこから抜け出せる――小さくても細くてもいいから――道は、どこにもなかったのだろうか?
彼を幸せにしてきたものが、最終的には彼の救いにならず、むしろ彼を更に追い詰めるものになってしまったというのが、あまりにも哀しい。
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2008年4月28日 at 10:49 AM
こんにちは!tamaです。
「CONTROL」・・私もものすごい気になっているのですが、私の住んでいる地域ではどこも公開されていないので(田舎はつらいです[E:sweat01])DVDが出るまで待とうと思います。
ジョイ・ディヴィジョンの曲を初めて聴いたとき、「なんて暗いロックなんだ」と思ったのを覚えています。曲の中に苦悩があって、でもどこか希望を持っているというか・・。イアン・カーティスもまた、ブライアンと同じように複雑で繊細な人ですね、きっと。
当時のマンチェスターシーンを描いた「24アワー・パーティー・ピープル」という映画にもイアンが登場しますが、イアンを演じていた俳優さんの顔といい、動きといいソックリで、びっくりしたのを思い出します。「CONTROL」ではどんな俳優さんが演じてくれているのか楽しみです☆
2008年4月29日 at 12:14 AM
tamaさん、こんばんは♪
私はジョイ・デヴィジョンを全く知らなかったのですが、この映画は観てよかった、と思いました。
イアン・カーティスの心の痛みが、観ていて辛かったです。
イアンが書いた詞には、彼の心境が現れているそうで……、
あらためてジョイ・デヴィジョンの曲を(詞を味わいつつ)聴いてみたくなっています。