アナウンサー宇賀なつみさんの初エッセイ、「じゆうがたび」を読んだ。

ほとんどテレビを観なくなった私、実は宇野なつみさんのことをほぼ知らなかった。(失礼;)

なのに、なぜエッセイを読んだのかというと、たまたま観た番組に宇野さんが出ていて、本の紹介をしていて、

「この本、読みたい! 私、この本、好きな気がする」

と、なんの根拠もなく思ったからだ。

モノやコトに対して「これ、好き!(興味深い、興味がある)」と思うことって、それほど頻繁にあることではないので、こういうカンは大切にしたい。

そんなわけでその日のうちに、「じゆうがたび」を読むことになった。どんな出会いがあるのだろうと、わくわくしながら。

ここでは、本のこと、本を読んで私が思ったこと、考えたことなどを綴ります。



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意見はあるけど押しつけがましくない

生い立ち、アナウンサーになり、アナウンサーとして働いてきたこと、

そしてタイトルからもわかるように、旅好きの宇野さんが今まで体験してきた旅のことが書かれている。

そこで起こった出来事、決意したこと。

アナウンサーだからなのか、描写がリアルで情景が映像のように浮かぶ。

 

旅や仕事を通して気付いたことなども書かれている。

活躍されている方が意見を連ねていると、押しつけがましく感じられるものになることもある。

「自己主張強すぎ」とか、読んでいて息苦しくなりがち。

でも、宇賀さんは違う。

意見はあるけど、決して押しつけがましくない。

芯はあるのに、どこか、ふわりと軽やか。良い加減。

AIが敵わないもの

時代がどんどん変化していくなか、人間がやる仕事はAIにとられてしまうという不安を見かけることがある。

でも、不安だからとAIを拒否するのではなく、AIに任せられることは任せればよいのではないかと思う。

ただ間違えずに原稿を読むだけなら、ロボットでいいという時代がすぐそこまでやってきている。

アナウンサーの世界も同じようだ。

「それでも人間が伝える意味を考えなければいけない」と。

 

テレビについて視聴者目線で思うのは、出演者は身内でも知り合いでもないのに、「いつも見ていて、好感が持てる○○さん」を観るためにチャンネルを合わせる。

いつも通り元気に出演している姿に、ホッとする。

正確に伝えてくれるだけではなく、「この人の姿が見たい」「この人の意見が聞きたい」「この人にいて欲しい」を視聴者は求める。

これは決してAIが敵わない「人間力」というもの?

アナウンサー以外の仕事であっても、AIが代わりをできる仕事ではなく、
「あなたでなければ」「あなたと仕事をしたい」
といわれるくらいの仕事をし、人間性を磨くことが、これからは重要になっていくのではないかと思う。

テレビの画面に世間の様子は映っている?

よくテレビを観ていたころ、そこで繰り広げられている情景が社会のイヤな縮図のように思えた。

力があるタレントを中心に、その他のタレントがへつらっている感じ。

「この人に気に入られていれば安心」「仕事をもらえる」と。

 

実社会でも、「ココでうまくやっていくためには上の人に可愛がられないとダメ」みたいなことがある。

「反抗的で扱いづらいのでは、仕事もしづらい」とは納得できても、
「ココでうまくやるために、媚を売る」みたいな風潮はキライ。

媚びを売るのも、売られるのを当たり前と思う雰囲気にも嫌悪感なのに、テレビを観ると、そのイヤな雰囲気が当たり前のように再現されている。不快だなあと思っていた。

それが、いつのころからか、なくなった気がする。

むしろ、力を振りかざす人は消えていっているような。

あと、問題を起こしてもテレビに戻ってこられる人は、「(人間的に)良い人で、周りから(職場で)好かれているんだな」と思うし、戻れない人は「やな人で、実は前から嫌われていたのかも」などと思ってしまう。

テレビのなかだけではなく、実社会でも同様なことが起こっている。
つまり、誠実で責任感持って仕事に取り組む、相手のことを思いやれるというような、残るべき人が残れているように感じる。

なんていうか、社会全体が整いつつあるような。研ぎ澄まされつつあるような。

多様性を認める社会なのだけど、今まで埋もれる傾向にあったホンモノが際立ってきたというような。

 

宇野さんはテレビ局を退職し、フリーになっても活躍し続けている。

本を読むと、宇野さんが一生懸命で誠実で、周りをリスペクトしているのが伝わってくる。

信頼と魅力があるから、良い仕事に恵まれるのだろう。

テレビの仕事でも、それ以外でも、安心して仕事を任せられるのはもちろんのこと、
きちんと良い人が評価されて残れる、良い時代になったなあと感じる。

語り合って新たな気付きを得る

宇野さんは「自己肯定も大事だけれど、自己否定も必要」という。

私は「否定」からは何の肯定も生まれてこないと思っていたから、この意見には「ん?」と思った。

でも、読み進めて「ふんふん、なるほど。そういうことか、わかる、そうだよね」と納得。

宇野さんは「周りからのネガティブな意見にも目を向けるべき」と。

確かに(ここからは私の意見)、自分を否定される意見はきつく感じるけれど、なかには批判ではなく「アドバイス」もある。

そこには重要なものもあるかもしれない。そして人はなかなか「アドバイス」をしてくれないものだ。なぜなら、余計なことを言って嫌われたくないから。

実際、否定的な意見をすべてシャットアウト(ブロック)してしまう人もいる。
実は良きアドバイスであるものにも耳を傾けようとしないから、周りはイエスマンばかりになり、いつの間にか「裸の王様」。
そうならないために、自己否定することも必要。

とはいえ、否定的な意見すべてを受け止めるのも難しい。

宇野さんは自己肯定と自己否定の「バランスが大切」という。

なるほどー。

読んでいて、語り合っているような気分になる。

議論は好きじゃないけれど、語り合うのは好き。

自分の意見だけ一方的に話すのではつまらない。こんなふうに、自分にはなかった相手の意見に気付かされる瞬間がたまらなく良い。

やっぱりポジティブなことを発信していきたい。

これ、同感だなあ。

世の中にはネガティブなこともあるけど、ネガティブばかりを見つめて、叩き続けていても仕方ない。

それより、「こんなのもあるよ~」と、そのネガティブの代わりになる良い方法を編み出し、活用していくほうが楽しいし、幸せを生み出せるはず。

「批判しているだけより、あっちのほうが楽しそう」と、人も集まってくるかもしれなくて。そうしたらネガティブのチカラは薄まってくるかもしれなくて。

もちろん、旅に出たくなる

「最近、旅をしていないなあ」
読んでいて、自分のことを想った。そういえば月イチくらいで、泊りがけ旅行をしていた時期があった。そうしないと息が詰まりそうで。

近場で、できるだけ安く。

それは平日休みの仕事をしていたときで、その後土日休みの仕事に転職し、混んでいて料金も割高の土日に旅行するのが億劫になり、だんだんと旅から遠のいた。

「別にどうしてもしたいってわけじゃないし」
と思っていたものの、業績不振による会社都合の解雇になったとき、数年ぶりに旅に出て(大阪まで)、
新大阪駅のホームで笑いながらスキップしたくなるほど浮かれた気持ちになり、
「本当は旅したかったんだなあ」
と実感した。

リハビリ中の今は、温泉に行くのが目標の一つ。

この本を読むと、もちろん旅がしたくなる。

温泉だけじゃなく、もっといろいろ、海外にも行きたくなった。実現するぞぅ!

「じゆうがたび」は宇野さんの人柄や生き方がわかる本、そして、心が自由になり、明るい前向きパワーが生まれる。

 

ライター・校閲、心理カウンセラー、ムビラ弾き♪
夢はチームで創作作品を発信していくこと☆
<こんなものにこだわって暮らしたい>
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