映画「万引き家族」を観た。
第71回カンヌ映画祭 最高賞パルムドール受賞。
監督・脚本・編集:是枝裕和、キャスト:リリー・フランキー、安藤サクラ、樹木希林、他
このブログ、ネタバレ注意!です!!
内容や感想などなどを知りたくない!という人は読まないほうがいいですよ~★
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あらすじ
都会の片隅で暮らしているワケアリ家族。
初枝(樹木希林)の持ち家に住んでいる4人。
治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)は夫婦。
信代の前のパートナーを殺害している。「やらなかったら殺されていた、正当防衛」という。
初枝の元旦那を奪った家庭の孫娘、亜紀。マジックミラー越しに接客するJK見学店で働いているが、両親は留学していると思っている。(本当に騙されているのか、世間的にそういうことにしているのか??)
治と信代が拾ってきた祥太。小学生の年齢だが、学校には通っていない。治に教えられ、万引きを一緒に行っている。
そこに、両親から虐待されていた5歳の女の子、ゆりが加わる。部屋から閉め出され、お腹をすかせていたゆりを、治が”家族”が住む家に連れて行き、返しに行こうとしたが、部屋の中からゆりの両親のケンカする声が聞こえてきて、結局、また”家”に連れて行くことに。
日雇いで工事現場で働く治は現場でケガをして休養することになり、信代は職場をリストラされる。
一家は初枝の年金(および元夫を奪った家族からの慰謝料?)で暮らしている。
ゆりが家に来てから2か月が過ぎたころ、ゆりの捜索願が出されたのをテレビのニュースで知る。
ゆりは両親のもとに戻るよりも、名前を”りん”と変えて、このまま暮らしていくことを選ぶ。
ある日、就寝中に初枝が突然亡くなってしまう。
葬儀代も出せないワケアリ家族は、初枝の遺体を埋めて隠す。
万引きをした祥太が見つかり、追いかけられケガをして入院する。
祥太を見捨てて逃げようとした治、信代、亜紀、りん(ゆり)は、ついに捕まってしまう――
捨てたんじゃない、拾ったんです
亡くなった初枝をきちんと埋葬しなかったことを警察から「死体遺棄」と指摘された信代は言い返す。
「捨てた(遺棄)んじゃない、拾ったんです」
そもそも初枝は、何故、ワケアリの人たちを受け入れ、一緒に暮らしていたのだろうか。
高層マンションの合間に残された平屋とはいえ、持ち家だし、少ないながらも年金(と慰謝料?)もある。
なにも、ワケアリの人たちを受け入れてあげることはないだろう。
夫を奪った家庭の孫娘を受け入れるなど、極端な考え方をすれば、「復讐?」ともとれる。
でも、私には、初枝がワケアリの人たちを受け入れた理由を、こう考える。
人間だから。心があるから。
誰かと一緒に過ごすこと
夫に捨てられ、ひとりで都会の狭間で暮らす初枝。
家に帰ってくる誰かがいたらうれしい。
ひとりで作って、ひとりで食べるご飯より、誰かと食べたほうが楽しい。
例え年金目当てであっても、必要とされたい。
傷つけられた初枝だからこそ、人の心の痛みもわかる。
だから行くあてのない人たちを受け入れた。
心の痛みがわかる信代だから、初枝の心の傷にも気づいていた。
だから言ったのだ。
「(私たちは初枝を)捨てたんじゃない、拾ったんです。捨てた人は、ほかにいるんじゃないんですか?」
自分たちもまた、初枝に拾われた身であるのに。
気付き始める祥太
小学校に通えていないとはいえ、治に教えられるがままに万引きをしていた祥太は、薄々、万引きが悪いことだと気づいていく。
決定打は、いつもの雑貨屋さんで、りん(ゆり)に万引きをさせたとき、店主(柄本明)にみつかり、とがめられはしなかったものの、
「妹にまで、そんなことをさせるんじゃない」
と言われたこと。
そのことを治や信代に言っても、取り合ってくれない。祥太は確信したのだろう「(教えられるままにやってきた)万引きは悪いことなんだ」と。
祥太はわざと捕まる
祥太はいつものスーパーで万引きをして、店員に追いかけられる。追い詰められて飛び降りて怪我をして入院することになる。
隠し事だらけの治と信代、亜紀とりん(ゆり)は、祥太を見捨てて逃げようとしたところを捕まってしまう。
祥太は施設に預けられ、学校にも通えるようになる。
一度、罪を犯している治の代わりに、信代がすべての罪を被ることになる。
治と祥太は2人で信代の面会に行き、祥太はそのまま治の家に一泊する。
翌日、祥太が乗るバスを治が追いかける。
祥太は一度振り返る。
このとき、祥太は、捨てたように感じられた。
ワケアリ家族たちから与えられた愛や、楽しかった時間を捨てたのではなくて、「罪を犯すことを悪と思わない、曲がった判断力」を捨てたのだと。
治のことが嫌いなわけではない。でも、治が当然のように教えてきたことは間違っている。
教えることがなかったら、学べばいい
なぜ万引きを教えたのかと問われて、治は「ほかに教えることがなかった」とこたえる。
治が育ってきた環境にも、なにか問題があったのだろう。
しかし、自分が唯一教えられることを教えていることが「愛」なんだと思っているとしたら、それは間違っている。
だから「いい」のではなくて、それでも「ダメ」なんだと気づくべきだ。
祥太が釣りについて、治に教えるシーンが出てくる。
「本を読んで覚えた」
と祥太は言う。
育った環境がどうであろうと、人は学べる、人は気づける。
だから治は、「唯一教えられることが万引き」だったとしても、それが間違いであり、ほかに教えられることを学べるチャンスがあるはずなんだ。
子供には母親が必要という常識、親は子供を育てるというルール
「子供には母親が必要なんですよ」
信代が警察で言われるシーンが出てくる。「子供を産んでいないあなたにはわからないかもしれないけれど」というようなことも言われる。
信代は子供は産んでいないかもしれない、だから母親にはなっていないかもしれない、でも、子供である経験は持っている。
今ここに存在しているということは、産んでくれた母親がいるということで、父親もいるということで、つまり子供である経験は誰しも持っている。
子供を産んだことがある母親の気持ちはリアルにわからないかもしれない、でも子供の気持ちはわかるはず。
親に虐待されていた、りんの気持ちはわかっていたはず。だからこそ、守りたかった、虐待するような親から、りんを守りたかった。
わかっていないのは、信代じゃない、頭が固くて視野が狭い、そして信代のような立場の人を上から目線でしか見られない人たちなのではないか?
愛情をかけてくれない親の元に返され、りんは幸せですか?
心に傷を負うことなく、成長することができますか?
「子供には母親が必要」「子供を産んだら育てる」という常識やルールに縛られて、本当の善悪の判断を間違えていませんか?
常識やルールに縛られない行動力と判断力
勘違いしがちなのが、「常識やルールに縛られている」という考え方。
常識やルールは、私たちが生きやすくするためにあるべきものだ。
縛られて、生きづらくするためのものではない。
常識やルールに縛られて、ねじれた善悪の判断をしてしまうのもおかしい。
実の親のもとに戻るのが正しいと短絡的な判断をするのもおかしいし、子供を育てる能力がないのに育てるべきだと押し付けてしまうのも、子供が苦しいだけになってしまう。
常識やルールに縛られた判断は間違ってしまうこともあるけれど、ただやはり。
万引きはダメだと思う。
その商品に、どれだけの人が携わっているか、ひとつひとつが売れることで、どう社会が動いているのか。そういう流れになるように決めたのはなぜなのか。
万引きを正当化するのなら、根本的に大きく社会を変えなければならないでしょう。
でも今のところ、万引きを正当化する理由はないように思えますが。
この映画は、自分たちがなにに縛られているんだろう、縛られているように感じているものの成り立ちがおかしくはないですか、ということを考えさせられる作品だった。あとは、人間の愚かさとやさしさがあふれている。
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