先日、映画「東京公園」を観た記事を書きましたが、

小説とは別物という噂を聞いて、気になったので小説「東京公園」(小路幸也著、新潮社)を読んでみました。

そして、とっても気に入りました!

私は空気が感じられるような作品が好きなのですが、この小説は、まさに私が大好きな空気が漂っていて、それが感じられる小説でした。

映画の時の記事に、
「原作者の小路幸也さんが「小説『東京公園』は担当編集者の<何も起こらない物語が読みたい>というリクエストから始まりました」とコメントしていた」
と書いたのですが、

何も起こらない物語? そんなことないでしょ。

って思いました。

何気ない日常の中で暮らしている人たちが、いろいろ考えて、気づいて、感じて、それぞれの道を見つけていく物語――、私にはそう感じられました。

映画を先に観た場合、登場人物たちは映画で役柄を演じた俳優さんたちに重なってしまうことが多いのですが、ぴったり、そのままイメージが重なったのは榮倉奈々さんが演じた富永でした。

これは、もう、小説を読んでいても、榮倉奈々さん以外思い浮かばないくらい、役柄にぴったりでした。

お義姉さんも人妻も、年齢設定は違うのですが、イメージは近いと思いました。

初島さんも、違和感はありませんでした。

圭司(映画だと光司)とヒロはちょっと微妙でした。

特にヒロは、小説のイメージだと、もうちょっと細身で長身で不思議オーラを持っているような気がしたので。

圭司(映画だと光司)は、イメージとかけ離れてはいないけれど、小説の圭司はもうちょっとフツーの大学生っていうイメージでした。

三浦春馬さんは、やっぱり一般人とは違う、俳優さんのオーラがあるので。

小説の中には、キラキラ輝く言葉たちが散りばめられていました。

※引用※

「わからないけど。昨日富永が言ったので、なんだかそれかなって」
「何言ったっけ」
「好きな人たちには、幸せになってほしいって。暮らしていくっていうのはそういうことだって」
「あぁ」
そんなこと、考えたこともない。けれども、父さんも言っていた。誰かのために生きるって。
「それを聞いたときに思ったんだ。父さんは自分のために生きることを捨てて、誰かと一緒に生きることを選んだんだろうかって」
「うん」
「でも、それは違うんだなって考えた。自分のために生きることと、誰かのために生きることは、別に相反するものじゃない。富永が言っていたことはそういうことでもあるんじゃないかって」
ヒロはまた少し首を傾げた。それからリモコンでテレビを消した。
「こう言うと、なんだかうぬぼれているように聞こえるかもしれないけど、姉さんも、富永もさ」
「うん」
「僕のことを、考えてくれているよね」
「そうだな」
それは、どうしてなのか。好きとか、嫌いとか、そんな一言で言い表せないもの。
「一緒に生きていくということなんだと思うんだ。暮らしていくのは別になってしまうかもしれない。それぞれがそれぞれの場所で他の人と暮らしていくけど、生きていくのは一緒。だから、幸せな方向に向かっていってほしい。会ったときにいつでも、なんていうか、いつも通りに過ごしていたい」
「うん。わかる」
「それは、自分のためでもあり、大好きな誰かのためでもあるんだ」
「好きな人たちの幸せを望むのは、そこから離れていくことじゃなく一緒に生きていきたいからだ」

 

写真を撮りながら、お義姉さんとの間の感情を確認する場面、
あからさまな言葉や行為がそこになくても、伝わってくる想いがあって切なくなりました。
文字を追いながら、涙ぐんでしまうほどに。

映画を先に観た「東京公園」だったけれど、小説の「東京公園」は映画のような物語でした。

シーンが映像のように感じられるのです。

読んでよかったと思える小説のひとつになりました。

わかっていたけれど、小説を読んであらためて気付いた素晴らしいこと。

何気ない日常にはたくさんの発見や成長があって、
何気ない日常こそ、実はとっても幸せなものなんだって。

だから何気ない日常の幸せを抱きしめるように大切にしながら、生きていかなくちゃって。

あったかい、優しい気持ちになれる小説です。



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