アイキャッチ画像出典@公式サイト
「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を観た。
原作:東野圭吾、監督:廣木隆一 、キャスト:西田敏行、尾野真千子、山田涼介他
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あらすじ
「東野圭吾史上、最も泣ける感動作」という謳い文句の作品。
物語は1980年と2012年が、ナミヤ雑貨店を通して結ばれ、展開していく。
1980年、雑貨店を営みながら、悩み相談を受け付けている店主の浪矢雄治(西田敏行)。2012年、すでに閉店され、廃屋となっているナミヤ雑貨店に逃げ込んだ敦也(山田涼介)ら3人は、思いもかけず32年前の悩み相談を受け取ることになる。
*****この先、ネタバレ注意*****
相談者の想い
1980年、『魚屋ミュージシャン』と名乗る相談者が、ナミヤ雑貨店のシャッターのポストに悩み相談の手紙を入れる。その手紙は、2012年の廃屋になっているナミヤ雑貨店に逃げ込んだ敦也ら3人の元に届く。
”魚屋ミュージシャン”は22歳。本来なら大学卒業の年。
しかし彼はミュージシャンを目指し、大学を中退。3年頑張ってきたけれど、芽が出ない。魚屋である父親が体調を崩し、ミュージシャンの夢をあきらめ、魚屋を継ぐべきなのかどうかと悩んでいる。
敦也たちは悩み相談に厳しく回答する。「音楽で成功する人間はひと握り。3年も頑張ってダメなのは才能がないということ。夢をあきらめるべき」と。
魚屋ミュージシャンは納得できず、「自分は真剣にやっている、自分の音楽を聴いてみて欲しい」と訴える。その一方で再び病院に運ばれた父親の見舞いに行き、「魚屋を継ごうか」と切り出す。
父親は息子に、
「3年であきらめるのか。たとえ、負け戦になったとしても、足跡を残せ」
と言う。
”3年も”なのか、”3年しか”なのか、夢を追っている身には判断は難しい。
魚屋ミュージシャンは夢を追い続ける決意をする。私には父親に言われたからというよりも、彼は夢を追いたかったのだと思えた。悩み相談の答えは、彼の中にあったのだと。
「家業を継ぐ」という選択は、”そうするべき”、”そうすることが正しい”という彼の中の正義ではあったのだろうけれど、どうしてもそれに納得できない気持ちがあったのだと。
8年後、相変わらず芽が出ない魚屋ミュージシャンは、クリスマスに『丸光園』という児童養護施設で演奏をする。
クリスマスソングに続いて、2曲目はオリジナル曲の「再生(リ・ボーン)」を歌う。その曲は、施設に預けられていた子供のひとり、セリの心に深く沁みる。
その晩、丸光園は火事になってしまう。一度は避難した魚屋ミュージシャンは、セリから「弟がまだ中にいる」と聞いて、助けに戻る。セリの弟を助けることはできたものの、彼自身は命を落とすことになる。すでに亡くなった父親に向けて、「親父、俺、足跡残したよ。負け戦だったけどさ……」と呟きながら。
夢を追うことにおいての勝敗?
夢を追い続けた期間は、魚屋ミュージシャンにとって希望をもたらすものであると同時に、絶望も味わうものでもあっただろう。好きな音楽に携わっているだけでしあわせだっただろうけれど、世間に認められないつらさもあったと思う。
足がつかない水の中で、おぼれないように、必死にあがいて、あがいて、疲れて、それでもあきらめられずに、あがいているように、”成功”の手ごたえがないまま、夢を追い続けるのは大変なこと。
魚屋ミュージシャンは最期に”負け戦”だったと言ったけれど、夢を追うことにおいての勝敗などあるのだろうか。
ミュージシャンとしての”勝利”の形が、世間から認められ、ヒット曲を飛ばし、大金が入ってくるということだったとしても、その”勝利”の形が長続きし、必ずしも本人にしあわせをもたらすとは限らない。
魚屋ミュージシャンがなにを”勝利”の形と考えていたのかわからないけれど、少なくとも彼は影響を与えた。子供であったセリは成長し、シンガーになり、「再生(リ・ボーン)」を歌う。彼の曲を生きる支えにしている。
夢に向かって真っすぐ生きた。あきらめなかった。倒れても最期まで前向きだった。
あなたはいつだって わたしのそばにいる
目に見えぬ 力で 心を震わせる
いつかまた きっと また 巡りあえるときまで すこしだけの サヨナラ
私は、夢は勝敗で考えるべきことではないように思う。
悩み相談を受けることの責任
悩み相談を受け続けてきた浪矢雄治は、「悩み相談に回答したことが、良い結果に結びついたとは限らない、不幸を招いてしまったこともあるのではないか」と疑問を持つようになる。
相手の立場を想い、アドバイスしたとしても、それが良い結果に結びつくとは限らない。
確かにそうだと思う。そこで悩み相談を受けてきたことの責任を感じてしまった気持ちも理解できる。
でもね、と思う。
でも、悩み相談にのる、それだけで充分。そのことを真剣に悩んでいれば、その分、その人は自分の中に答えを持っている。だけど不安で、自分の気持ちに自信が持てなくなるときがある。そういうときには、悩み相談にのってくれる、そのあたたかい心を感じられるだけで、充分満たされるのだ。
悩み相談の裏に隠された奇蹟
映画の冒頭、丸光園出身である敦也たちは、丸光園の敵であると思い込んだ女社長の家を荒らしてやろうと忍び込んだ。敦也たちは丸光園を守りたいから。大切に思っているから。
その後、逃げる途中で、ナミヤ雑貨店に身をひそめることになり、1980年からの悩み相談に答えることになったのだ。
そして敵であると思い込んでいた女社長も丸光園出身者であり、1980年から悩み相談をしてきて、2012年の自分たちがアドバイスをした相手なのだと気づく。
敦也自身も1980年の浪矢雄治からの手紙を受け取る。それは浪矢雄治にとって人生最後の回答だった。
敦也が送った手紙は白紙だった。浪矢雄治は白紙の意味を頭をひねって解釈する。
『悩みすらもわからない、なにもない、なにもわからない状態なのではないですか』と。
『でも白紙になにを描いていくのかは、あなた次第。無限の可能性がある』
そして『人生の最後に、このような悩み相談の回答ができたことに感謝します。ありがとう』
と結ぶ。
”悩み相談にのってあげた”ではなくて、”悩み相談に回答させてもらえてありがとう”と言う。なんて素敵な心なのだろう。
(誰かの)力になってあげている、だから感謝しろ、
ではなくて、
誰かの力になれることができるのは、とてもありがたいこと。しあわせなこと。
たとえ面識がない同志だったとしても、そうやって人と人は支えあって生きている。
「ナミヤ雑貨店の奇蹟」には、人間のもろさや、やさしさや、強さがあふれていた。
悩み相談にのる気持ちは、ひたすら相手がしあわせになりますようにと想う気持ち。
現代人は心がすさんでいるように感じることもある。
それでも私は信じたい。
人には、人のしあわせを願う気持ちがあるんだって。
損得勘定なしに、純粋に、ただひたすら、誰かのしあわせを願う気持ちがあるんだって。
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