ヨシモトオノ(吉本ばなな著)を読んだ。
今回は本の感想、レビューというより、「本を買った、読んだ」という体験談と体験を通して感じた想い。
そして少しだけネタバレ。
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初めて抱きしめた本
吉本ばななさんの著書との出会いは「キッチン」だった。
そして「キッチン」は、読み終えたあと、初めて抱きしめた本。
その後、抱きしめた本はないから、今のところ唯一の抱きしめた本、といえる。
なんで抱きしめたのかって、敢えて言葉にしてみると・・・
「ありがとう」かな?
で、なんで「ありがとう」だったかっていうと、「救われた」かな?
「キッチン」には、当時抱えていたモヤモヤ感を和らげてくれるパワーがあった。
孤独とか、やるせなさとか、苦しさとか。
「なんでこんななんだろう」じゃなくて、「そういうものなんだよ」「でもね、きっと大丈夫」って諭してくれるようなあったかさがあった。
だから読んだあと、すごくホッとして、うれしくて、「ありがとう」の想いで、本を抱きしめた。
そして「ヨシモトオノ」を買う
そんな吉本ばななさんの新刊が出たことを知った。「ヨシモトオノ」
「読みたい!」と思ったけれど、最初は買うことをためらった。
思えば私は本好きで、学生のときから社会人になってからも本を読むのを欠かしたことがなかった。
1冊読み終えたら、また新しい本を買って読む。
本屋さんに行くのは大好きで、ためらいもなくいろいろな本を買っていた。
本屋さんにはさまざまな本があって、多くの出会いがあって、読みたい本は無限にあって、わくわくした。
本のページをめくる時間、なんて心豊かなひとときだったことだろう。
そんな私が1冊の本を買うことすらためらうように。
それは私が今、リハビリ中のこともあるし、在宅ワークもしていて時間がないこともある。
(図書館にも行けてない。電子書籍はたまに借りる)
本の価格は高くなっていて、少し贅沢品になってしまっていることもある。
なるべく物を増やさないようにしていることもある。
本をじっくり読むより刺激的で知っておいたほうがいいような情報が無料でたくさん楽しめることもある。
だけど、「ヨシモトオノ」は読みたい!と突き動かされるように思って、試し読みをしてみたらもっと読みたくなって、購入。
買ってすぐに読み始め、読み終えた。
買ってよかった、読んでよかった、忘れかけていた本を読む豊かな時間を満喫できた。
この豊かになる感じを忘れちゃダメだ、体験し続けなくちゃダメだ、いらないものは手放していけという風潮だけど、この心が潤う感じは決していらないものではない。
だから手放してはダメ。
少しだけネタバレ
このブログはネタバレが多いのだけど、今回はネタバレ少なめにしようと思う。
だけど、少しだけ内容にも触れたいので、少しだけネタバレにしようと思う。
なので、ネタバレは一切読みたくない方は、この先を読まないでくださいね。
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「ヨシモトオノ」は13編を収めた短編集。
そのなかの1編、「唐揚げ」に触れようと思う。
主人公のいとこが若くして亡くなり、主人公はいとこが書いたノートをもらう。
正確には、借りる。
日記のようなもので、入院中のことが書かれていた。
主人公も登場している。
唐揚げは、いとこの母親が差し入れてくれていた、いとこの好物。
食欲がなくても冷えていても、おいしい母親の手作りの唐揚げ。
いとこが亡くなったあと読んでいた雑誌に「唐揚げは体に悪い」と書かれていて、
主人公はその雑誌を破って捨てる。
・・この感情、なんかわかるような気がした。
突然、こみ上げてくる怒りに襲われること。
その好意がありがたくて感謝していること、尊いものに対して、
それを拒否するような意見に触れたとき。
その人には悪意はまったくないのだとわかっていても、怒りがこみ上げてきてしまうことってある。
なんで人が大切に思うことを踏みにじろうとするのかと。
なにも手を貸さなかったあんたが、外野から大切なものを否定するって、いったいなんなのと。
しかし、たぶん外野の人には、そこまでの悪意も気持ちもない。
踏みにじったつもりもない。勝手に踏みにじられたと感じてしまうだけなのだろう。
だから、そこまで怒らせてしまったことにも気づかないのだろうけれど。
あと、日記に出てくる自分のことを読んで主人公は複雑な気持ちになるのだけど、知らなくていいことってあるよねって思った。
特に文字で読むのは、話し言葉で聞くより決定的な事実みたいに思えてしまう気がする。
自分が何の気なしにしたことが、相手にはこんなふうに解釈されていたのか!と。
良かれと思ってしたことが、独りよがりでしかなかったこととか、現実にもたくさんあるんだろうな。気づいていないだけで。
気づいていないことに気づいたほうがいいのか。気づいたってどうしようもないことなら、気づかないほうがいいのか。
わからないけど、気づかないことで救われてることもあるんだろうな。
だから、すべてが見えてしまう人って、つらいだろうな。
まあ、気づいた真実と思えたことも、一瞬先には変わっていることもあるのだろうけど。心は生ものだから。
自分の気持ちが思いがけず変わることもあれば(怒りがいきなりこみ上げてくるのと同様に)、誰かの気持ちも予測不能に変わるのだろう。
本を読んでいるだけで、自分の内面に深く深く想いは飛んでいく。
包容力がある作品は、その物語を感じるだけではなく、読者が心を重ね合わせ、さまざまなことを考えるきっかけも与えてくれる。
そしてたぶん、良質のカウンセリングを受けたように心を軽くしてくれるのだ。
(たぶん、というのは、実際に良質のカウンセリングというのを受けたことがないから)
短編集だからの充実感
本の帯にもあるように、収録されているのは「もしかしたら、この世にはそういうことがありうるのかも」と思える物語。(1編は実話なのだそう)
でも、そんな不思議なことあるわけないよ、と言い切ってしまう人もいるのかな。
逆に、言い切れるのが不思議に思うけど。
だって、目に見えているものだって確かじゃない。だから証明できない不思議なことがあるわけないって言い切るのも確かじゃないんじゃない?
ないかもしれないけれど、あるかもね、でいいんじゃない?
気づかないほうがいいこともあるのだとしても、それによって救われるようなことなら、信じてもいいよね?
そうやって支えを見つけて生きていくことも、心豊かに生きていくってことのような気がする。
1冊にそれぞれが輝きを持った「ありうるのかも」があって、繰り返し「ありうるのかも」を体験できた。
読み終えたあと、いろいろな主人公たちの状況を一緒に体験したような、気だるくも穏やかな充実感を味わえている。
☆この記事を書いた人☆
mari@ライター・校閲、YouTube台本、心理カウンセラー、ムビラ弾き♪
「自分らしく生きること」を発信していきたい☆
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シングルマザーと、登校拒否の高校生男子と、自称「うまく生きてる」あたしの物語。
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「そんな夜の、とっておき」 |
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