映画「検察側の罪人」を観た。
監督・脚本:原田眞人
キャスト:木村拓哉、二宮和也、吉高由里子、他
原作は読んでいず、特にジャニーズ好きではないけれど、ミステリーは好きだし、なんとなく、
「おもしろそうかな」
という気持ちだけで観た。
以下、ネタばれ注意です!!
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あらすじ
都内で老夫婦殺人事件が起きる。
担当になった、エリート検事の最上毅(木村拓哉)、と若手検事の沖野啓一郎(二宮和也)。
老夫婦から借金をしていた複数の人物の名前があげられる。
そこにあった、ある名前に最上は驚く。
松倉重生
時効を迎えてしまった23年前の殺人事件の重要参考人だった人物。
殺人事件の被害者は、最上と親交があった10代の女性だった。
被疑者の一人である松倉を執拗に老夫婦殺人犯にしようとしている最上の方針に、沖野は疑問を持ち始めていく――
たくさんの要素が詰まりすぎな気が・・・
先に断っておくと、批判するつもりはない。
原作を読んでいないし、私の理解力が低いせいかもしれないから。
単にミステリー映画だと思って観に行ったのが違っていたのかもしれないから。
断りを入れた上で、率直な感想を言うなら、
いろいろな要素を詰め込み過ぎでは?
と感じた。
かなーり個人的な感想を言うなら、
- 老夫婦殺人事件が起きた、
- 被疑者の中に過去の未解決殺人事件の重要参考人、「松倉」の名前があった、
- 最上はその未解決殺人事件の被害者と親交があった、
- そのため最上は「松倉」に対して復讐心(許せない気持ち)を抱いていた、
- 今回の老夫婦殺人事件の犯人を「松倉」にしようとしている上司の最上に沖野は疑問を持つ、
- どうしても「松倉」を犯人にしたい最上は・・・、それに対して沖野は・・・・
これだけで充分、重厚なストーリーだと思う。
なので、この骨格をもっと深く掘り下げて、
- 最上と未解決殺人事件の被害者の関係
- 最上と沖野の関係
- 最上が松倉に執着する理由
などを細やかに描いたほうが、観客は登場人物に共感し、引き込まれたのではないか。
そのほかの、
- 家庭問題
- 結婚生活
- 宗教
- 政治
- 戦争
- 庶民とはかけ離れた上流階級の世界
が、多すぎる情報に思えた。短い映画の時間の中で描くには。(すみませぬ・・・)
入り込めないままに物語が展開していく
検察、警察などにあまり深い関わりを持っていない私のような庶民にとって、事件に関する世界自体が異空間。
しかし誰しも事件に巻き込まれる可能性はあり、警察に関わる可能性もあるわけで、想像力も働かせつつ映画を観始めるも、なかなか映画に入り込めない。
もしかして要素が詰め込まれすぎていて、ひとつずつの描写が薄くなってしまったのかもしれないし、私の理解力が低いせいかもしれない。
とにかく入り込めないまま映画は始まり、理解するよりも前に、どんどんストーリーが展開していってしまった。
例えば、最上が過去の殺人事件の重要参考人を許せない気持ちの動機だけは、もっと描いても良かったように感じる。
そこが、観客が最上に共感できるかどうかのポイントだから。
そもそも誕生日占いにハマっていたのは、被害者のユキ(漢字がわからない;)でしたっけ?
最上が誕生日占いにハマっていて、沖野を指名したのがユキと同じ誕生日だったからというくらい、今でもユキの影響を受け続けているということで、最上のユキへの感情を表現したかったのでしょうか。
うむー、それだけでは、物足りない気がするのだけど・・・。
検事になった最上の正義感
検事になった最上は正義感が強いキャラに思えた。
正義感が強いから、殺人犯でありながら罰せられていない松倉が許せなかったのだと。
しかし、「許せない」感情を抱き続けるほど、最上は感情的なキャラだろうか?
元々が感情的で熱いキャラだったから、過去の未解決殺人事件を通して、感情にゆがみが生じてしまったのだろうか?
だって、親しかった女性が殺されて許せない気持ちを持ち続けるほど熱く感情豊かなキャラなのだとしたら、現在の家庭環境はなんなのだろう?
最上は、なぜあんな家庭生活を送っているのだろうか?
感情豊かだからこそ、何かを捨て、投げやりになっているのだろうか?
正義の貫き方
登場人物たちが、みんな病んでいるように思えた。
唯一、普通だったのは沖野かな。
検察事務官である橘沙穂(吉高由里子)も、ゆがんでいるとはいえ、クレイジーとまではいかない。
時効になった事件の真相を、沖野の前で話し出す松倉。
「許せない」「裁かなければ」
というのは、被害者を知らなくても当たり前に抱く想いだろう。
しかし、最上の自ら罪人になるという罪の裁き方はどう?
そうしなければ、松倉はなにも裁かれず日常生活を送っていく。
だから、自分が罪を犯しても、松倉を追い詰めようとした。
そして、そのことに気付いて止めた沖野の正義感。
沖野が動いたことで、松倉は無実になる。凶悪犯であるにも関わらず。
まさに「検察側の罪人」
この映画は、タイトルがすでにネタバレだ。
要するに「検察側の罪人」の話。
犯した罪も無かったことにされてしまう。
真実は簡単に捻じ曲げられてしまう。
あったことは無かったことに、無かったことはあったことにされてしまう。
”仇討ち”が許されない現代の日本では、こんなふうにしかできないのか?
「正義とはなにか?」
がテーマの映画だと感じたけれど、もう少し最上の心を描いてくれたらなあと思った。
沖野と橘沙穂の心の描写は良かったと思えたけれど。
あらためて、原作を読んでみたい。
原作を読んでみると、たぶんいろいろな謎が解けるような予感がしている。
↓この予告、いいですね。本編よりも、ぎゅっと締まっていて、内容がわかりやすい。
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