先日、ドラマ化もされている、山本文緒さん原作の「あなたには帰る家がある」について書きました。

先日の記事は「原作ネタバレ」として書きましたが、ドラマを観ていてユースケ・サンタマリアさん演じる茄子田太郎(なすだ たろう)が気になったので、そのことについて書こうと思います。

ネタバレ注意です!



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注目されているのは太郎の妻の綾子?

ドラマではひと際目立つ、綾子(ドラマでは木村多江さんが演じている)の狂気っぷりが注目を集めているのでしょうか。

原作でも充分、綾子はクレイジーです。

ドラマでは描かないのか、これから明らかになるのか、お腹の中に他の男性の子供がいて、つじつま合わせのために見合い写真の中から「一番もてなそうな男」を探し、太郎と結婚する。

現実でも起こりうることかもしれませんが、それで清楚な女性ぶってるって、あり得ないです。絶対、近づきたくないタイプ(笑)

綾子の狂気は確かに興味を持たれやすい要素ですが、私は太郎の心理について考えてしまいました。

「男の嫌なところを集結させたような人間」

公式サイトによると、茄子田太郎は「男の嫌なところを集結させたような人間」という設定なのだそうです。

http://www.tbs.co.jp/anaie/interview/vol3.html

ドラマを観ていると、太郎も充分怖いキャラクターです。

傲慢で、陰湿な雰囲気で。

原作で、太郎と初めて会ったときに佐藤秀明が思っている通り、現実にいる人物だとしても「仕事でなければ口をききたくないタイプ」なのだと思います。

しかし、ドラマでも、原作でも、太郎はどこか憎めないキャラなんです。

嫌なヤツなのになんででしょうね?

太郎はなんで、綾子との結婚を受け入れたのか

原作では、見合い後に綾子は太郎にお腹に子供がいることを打ち明けます。

太郎がそのことを真弓にぶちまけるシーンが出てきます。

「結婚した時、奴のお腹には義理の兄貴の子供が入ってたけど、俺にはそんなことはどうでもよかったんだよ。

(中略)

綾子の子供なら、誰の子供でも俺の子供だ。どんな種だろうと、子供はみんな可愛いもんだよ。俺が育てりゃ俺の子だよ。何故みんなそんなことにこだわるんだ。どうでもいいんだよ、そんなことはっ」

……いえ、どうでもよくないでしょう、結婚した時に義理の兄貴の子供がお腹にいた、って;

太郎と綾子はお見合いで知り合っています。

綾子のことを深く知っているわけでもないのに、なぜ太郎はワケアリ女の綾子と結婚したのでしょうか。

愛情なのか、コンプレックスなのか

原作でもドラマでも、外見からは綾子は美しく完璧な女性です。

見合いをした太郎が、美しい綾子に惹かれたのは間違いないでしょう。

原作では、太郎はずんぐり太った体型で、冴えない、女性にはモテないタイプ。

両親に溺愛されて育ったことから、根っからひねくれた人間ってわけではないように思えます。教員という職業に就いて、両親と妻子を養っていますし。

冴えない外見ゆえに、バカにされたり女性に相手にされなかったりしてきて、両親からの愛情と、世間からの自分への評価のギャップの間で必死になってバランスをとっているのかな、と。

お見合いで一目惚れをした美しい女性、綾子が困っている、自分なら力になれる、ほかの男の子供だって関係ない、立派に愛していく、

と思った太郎の気持ちは、綾子とお腹の子供に対する愛情だったでしょう。

そして実際に太郎は綾子と結婚し、自分の実の子供のように、子供を育ててきました。

綾子と結婚をしたのが愛情ではなかったとしたら、太郎のコンプレックスを埋めるための結婚だったと考えられます。

女性には相手にされないような自分が、こんなに素敵な女性と結婚できたということを周りに見せることで、コンプレックスの塊だった太郎の心は満たされたでしょうから。

さて、太郎が綾子と結婚をしたのは、愛情だったのでしょうか、コンプレックスを解消するためだったのでしょうか。

 

――私には、両方、と思えます。

人は「こんな自分が誰かのためになれる」と思うことで満たされることがあります。

誰かの力になれることは、喜びです。「誰かのため」と思っているけれど、本当は自分が満たされるんです。

だから「誰かのため」と思っているけれど、実は「自分のため」ともいえますし、そもそも誰かと自分というのを分けて考える必要もないと思います。

しかし、コンプレックスが強い人間が、「誰かのために何かをする」と、「誰かのため」が強調されて、恩着せがましくなることがあります。

「誰かのために、こんなに尽くしている自分」=「誰かの力になれている自分」という事実で、コンプレックスでつぶされそうな心を満たしているからです。

自分の心を満たすために、「誰か」に対して、どんどん恩着せがましくなっていきます。「必要とされている自分」を確認していないと、心のバランスを崩してしまうから。

原作での太郎の本音

原作で、真弓を相手に太郎が本音を吐くシーン。

「俺は女房を愛してんだよ。家族を愛してんだよ。できる限りのことはしてきたさ。

(中略)

俺みたいなのは、もてねえよ。知ってんだよ、俺は知ってんだよ。

(中略)

なあ、俺が何をした? 俺が悪いのか? 言ってくれよ。俺のどこが悪かったんだよ。俺はどうすりゃいいんだよ。綾子を放したくないんだよ。幸せにしてやりたいんだよ」

言いながら、太郎は泣きじゃくります。

太郎の疑問にこたえられますか? 愛する女性の力になりたいと思った太郎は悪かったのでしょうか? 太郎はどうしたらいいのでしょうか?

愛情と執着の境界線

「綾子を放したくない」と泣く太郎の心は、綾子への執着を表しています。

結婚した時は、コンプレックスを抱えた心による選択だったにしろ、綾子に対する愛情があったのでしょう。

しかし、愛情を注いできたはずの綾子が浮気をしていた、自分から離れていってしまうと思った時、太郎は綾子に執着している気持ちを吐露します。

 

愛情の種類にもよりますが、愛情がいきなり無関心に変わることは少ないと思います。

執着とか嫉妬とか憎しみとか、ネガティブな感情に変化することが多いでしょう。

愛情があるから気になる、愛情があるから構うのだと思いますが、その愛情がどこの境界線を越えるとネガティブな感情になってしまうのでしょうか。

 

私には、この境界線は本人が決めることではなくて、相手の気持ちにゆだねられることのように思えます。

つまり相手が、その愛情を「うれしくない」と思ってしまった時から、ネガティブなものに形を変えてしまうのだと。

 

対処するためには、愛情ごと、その感情を手放すか、自分の心を変化させるかしかないでしょう。

原作の太郎は、問題を起こした綾子を受け入れます。

そして家族のために家を建て直します。

原作の綾子は、結局現状を受け入れるしかないと、妥協したのかもしれません。

 

ドラマがこの先、どう展開していくのかわかりませんが、ドラマの太郎がどうするのか、どこか憎めないキャラを見事に演じているユースケ・サンタマリアさんの演技にも、超注目しています。

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※最終回を目前にして、追記

10回目を観終えましたが、茄子田先生(ユースケ・サンタマリアさん)、やっぱり注目しがいがありましたねー!

でも、カッコ良すぎな気がします。

あれでは、「モテないタイプ」じゃないですよねー。誠実で不器用な、愛情たっぷりな人。
原作だと、外では玄人相手に女遊びもしているので。。

真弓、ナスボーでいいじゃない、最終回ではナスボーもその気になるようだし、ナスボー最高!と思ってしまってします。

しかし、そうはならないような。

最終回、見逃せませんねー♡

 

小説とドラマには関係ないのですが、”境界線”つながりで、こんな記事も書いています。よろしければ、どうぞ。

 

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