映画「火花」を観た。
(監督、脚本:板尾創路、キャスト:菅田将暉、桐谷健太、原作:又吉直樹)
初めに。。
「ネタバレ注意」としたものの、このブログはあまり映画について触れられないかもしれない。
原作も読みましたが、印象に強く残っているのはラストの神谷の豊胸のくだり。読みながら、文章が頭の中でヴィジュアル化された。それくらい強烈な印象だった。(いきなり小説のネタバレを書いてしまった;)
何故、内容に引き込まれなかったかというと、”芸人あるある”のエピソードのように感じてしまったから。芸人の下積み時代のエピソードは、よく聞く話。
ドキュメンタリーならまだしも、「売れない芸人のよくある話」のように思えてしまい、あまり入り込めなかったのだ。
しかし映画を観て、あらためて考えてしまったことがあったので、それらのことを綴ろうと思う。
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結果を出さなくちゃ意味がない
売れる芸人と売れない芸人。なにが違うのか。才能なのか、運なのか、努力なのか。
「あんな芸風、なにがおもしろいの?」
と思っても、売れるものは売れる。映画の中にも、主人公である徳永が「好みじゃない」と思うのに売れていく芸人が登場する。
徳永が師匠と仰ぐ先輩芸人、神谷はおもしろい(と徳永は思っている)けれど売れない。
なんの世界でも、結果を出さなくちゃ意味がない。
例えばスポーツなら優勝するとか金メダルを取るとか、仕事だったら成績を上げるとか。勉強だったらいい点数を取るとか試験に合格するとか。
「がんばったけどダメでした」
なんていうのは、結果を出せなかったことの言い訳でしかない。
厳しいことをいうなら、「がんばったけどダメでした」なんて、口にするべきではないし、「がんばんなくてもいいから、結果出せ」というくらい結果は重視される。
結果を出さなければ、世間は認めない。
「自分はがんばった」という自己満足も大切
「おもしろいと思ったことを伝えなかったら、なかったことにされちゃうんですよ!だから伝える努力を怠ってはいけないんです!」
というような台詞を徳永が神谷に言う。
「もっと気楽にやればいい」
と返す神谷に、さらに言い返す。「趣味だったらそれでいいけど(自分たちは命かけてやってるんじゃないですか)!」
表現活動をしていると、一体なにに向かっているのかわからなくなるときがある。
受け入れてもらえなかったとき、それが悔しかったとき、
『なにと戦って、なにに負けたんだろう』
正体がわからない真っ黒な大きなものと対峙しているような気持ちになる。
それでも、そうなんだなと、このセリフを聞いて、思った。
本気でやりたいなら、わかってもらえなくても、伝え続けなくちゃいけない。やり続けることを怠ってはいけない。
そして、ひとつのことがうまくいかなくて、気持ちを切り替える際に、
「ダメだったけど、一生懸命やった」という自己満足も必要。他の誰をも満足させられなくても自分だけでも満足すること。
言い訳と言われようとなんだろうと。次の一歩を踏み出すために。
結果を出せない過程だって大切
「火花」は徳永も神谷も売れないところで終わる。この先、売れるかもしれない。でもとりあえず、売れないところで物語は終わる。
「結果を出さなくちゃ意味がない」
と思う。人に対しても自分に対しても思う。
でも「結果を出せない”がんばり”には意味がないのか」といったら、絶対に「NO!」と返したい。
「結果を出せないなら、やるだけ無駄」という考え方もあるだろう。
だけど私は「がんばったことが無意味なんてことはない」と言い切りたい。
誰にも認められなくたって、結果を出せなくたって、なにかに真摯に向き合い、全力でがんばったことには大きな意味がある。
誰にもわかってもらえないとしても、あがく中で考え、悩み、挑戦し続けたことは、本人の中で大きな力になっている。
挫折だなんて考える必要はない。がんばる気持ちは尊いものだ。
そもそも、ほかの人がいるから、その中の一番になれる。10人いたら、1位はひとりだけ。1位の人が1位になれたのは、あとの9人がいたおかげだ。
映画の中にも出てきたけれど、その他大勢だって影響を与えている。無駄な存在なんかでは、決してない。
ラスト、新しいネタを思いついた神谷は輝いている。アホみたいだけど、いとおしい。売れないまま過ごした10年間だったけど、意見を戦わせたり、一緒に笑う仲間がいた。
ダメでもダメでも挑んでいきたくなるようなことがあるっていうのは、実はとってもしあわせなことなのではないか。
私は結果が出ていなくても、その裏にある気持ちを理解しようとする心を持ち続けたいと思う。
アイキャッチ画像出典@公式サイト
「火花」又吉直樹
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