小説「劇場」(又吉直樹著、新潮社)を読んだ。2015年「火花」で第153回芥川賞受賞作に続く作品。
小説以外の又吉さんの書くものを読んで、
「この、そこに在るものをなにも否定しないようなとらえ方が好きだなあ」
と思っていた。
そこに在るものについての感情がないわけではなくて、感じ取ってはいるけれど、否定しない感性。
「又吉さんの感性、好きだなあ」
の流れで、「劇場」を読んだ。
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***この先ネタバレ注意***
表現したいふたりが出会う
主人公は一人称「僕」で語られる売れない演劇脚本家の「永田」。
上京して、女優を目指しながら服飾の大学に通っているという沙希と出会い、つきあいが始まる。
主人公の永田が又吉さん本人に重なるという意見が多いようで、実際私もそう感じた。でも、それは置いておく。
面倒臭い性格、成功できない永田と、素直で純粋な沙希。永田に尽くして、心を病んでしまう沙希。
「なぜ、沙希みたいな性格が良い人が永田みたいな人とつきあっちゃうんだろう」
と思う人もいるだろう。
でも、ふたりには惹かれあう理由がきちんとある。ふたりとも「表現したい」人だから。
多くの人は自分の意見を持っていて、それを表現したいと思っている。その表現したい意見が「●●さんって、嫌な感じだよねー」というような誰かの噂話に過ぎないこともある。また「人生とは××だ」ということを表現したいと思っている人もいる。
ジャンル分けは好きではないけれど、敢えてする。大きく分けて、「自分を表現したい」気持ちが強い人と、それほど強くない人がいるように思う。そしてその表現手段を、おしゃべりや日記という形ではないものでアピールしたいと思っている人たちがいる。
永田も沙希も「表現したい」気持ちがあり、永田は演劇という形で、沙希は女優という形で「表現したい」と思っていた。だから、ふたりは惹かれあった。「表現したい」ふたりだったから惹かれあうべくして、惹かれあったのだ。
沙希は永田に自分の夢を託す
「わたしね、東京来てすぐにこれは全然かなわないな。なにもできないなって思ってたから、永くんと会えて本当に嬉しかった」
ラストの場面で、沙希は言う。
自分のほうこそ「沙希と会えて嬉しかった、出会ったときの自分は血まみれ(それほどボロボロだったということ)だった」と永田は返すが、沙希の言葉は永田に対する思いやりではなくて、本音だと思う。
沙希は自分を表現するため女優を目指して東京に出てきたけれど、本気で女優を目指せるほど強くなかった。人間的に強くないという意味ではなくて、女優になりたい=自分を表現したい気持ちが、それほど強くなかったことに、上京してみて気づいた。
そこで、理解者を切望していた永田に出会う。
沙希の夢は女優になることではなく、「永田が成功する」ことに変わった。
だから我儘な永田を受け入れ、理解しようとつとめ、励まし、尽くした。
沙希は永田に振り回された犠牲者なんかじゃない。永田と一緒にいることが、夢の実現につながっていたのだから。
本当に永田はダメな男なのか?
”人の親から送られた食料を食べる情けない生きもの”
と永田は自分のことをいう。
家賃も払っていない部屋で、彼女の親に言われた正論に対して暴言をはき、なんの罪もない優しい人を傷つけ、何事もなかったかのように眠り、ふてぶてしく腹をすかし、問題となった食材で作られた食事を迷いなく食べている。われながら自分が化けもののように感じられた。
ケンカの発端は、沙希の母親が送ってきてくれた食材だった。
「半分は知らない男に食べられると思ったら嫌だって言ってた」
と沙希が言ったのがきっかけで、言い合いになったのだ。沙希は言い方が悪かったと謝ったが、永田の機嫌は直らなかった。
永田にはわかっていた、自分の稼ぎが少ないこと。沙希の優しさに甘えていること。沙希の親にまで甘えていること。
わかっていたから、痛いところをつかれて惨めになった。情けなくて自己嫌悪に陥った。その気持ちをどう表現したらいいのかわからなくて、結果的に沙希に当たり、傷つけることになってしまった。
確かに永田は面倒くさい。自意識過剰。そして不器用。
しかし永田は沙希を傷つけるだけのダメ男なのか。
なかなか叶わぬ夢を追いかけること、とことん自分の世界にこだわり続けることは、自分のためでもあったけれど、沙希に対する愛情でもあったのではないか。
永田は沙希と話していると饒舌になる。理解者に話を聞いてもらえる永田は幸せを感じていた。そして沙希も幸せを感じていたように思う。
ふたりはどうしたら幸せになれるんだろう?
永田を応援し続けた沙希は疲れ、心を病んでしまう。不器用な永田には、どうしたらいいのかわからない。
ただ別れたくないとは思っている。別れが近いとは気づいていながら。
「疑問も持たんと全部言う通りにしてきた人間がどう間違えたら大学にも行かんと働きもせんと東京出てきて劇団なんてはじめんの? 表現に携わる者は一人残らず自己顕示欲と自意識の塊やねん」
こんな永田だったから沙希は惹かれ、こんな永田だったから沙希は共に夢を追い、そして傷つき別れることになった。
読んでいて、永田にも沙希にも少しずつ共感した。共感したからおもしろかったというより、モヤモヤしたので、どうしたらふたりは幸せになれるんだろう(なれたんだろう)と、考えてみた。
不器用な永田は変わらないだろう。これからも永田が永田であるがゆえに、傷を負っていくのだろう。
だけどせめて自分のダメさを笑いのネタに変えられたら、救われるのかもしれない。また、それを一緒に笑ってくれるパートナーができれば。
「おまえのそういう変なところがおもしろい」
と言ってくれるファンができれば、彼自身は変わらなくても、永田の人生は変わるだろう。
永田がもう少し器用な人間になって、社会性を持ち、夢を追いながらも普通の生活を送ることを考えてくれたら、沙希も救われたかもしれない。
沙希のほうが現実的で、先に夢からさめてしまい、夢を追い続ける永田との間に溝ができてしまったのだから、永田ももう少し現実的になれたらよかったのかもしれない。
人は同じスピードで変わっていけない
アイドルグループのDVDを観ながら、ふたりは会話を交わす。
「わたし、もう東京駄目かもしれない」
「……そっか」
「うん。永くん一人で大丈夫?」
こんな状況でもまだ僕のことを心配するのか。
心を病んだ沙希は実家に帰る決意をする。夢を追うことに疲れたふたりが出会い、支えあい、夢を追い続けるチカラを得て、共に過ごし、傷つけあうようになり、共に過ごせなくなった。
人は同じスピードで変わってはいけない。だから、この流れも仕方がなかったのだと思う。
でもそこには確かに共に過ごしたキラキラと輝く日々があり、お互いを思いあう心があった。決して傷つけあうことを目指していたわけではなかった。
そんな輝く時間があったことが、今後のふたりそれぞれのチカラになっていけばいいなと思う。振り返るたび落ち込んでしまう傷になって残るのではなく、今後を生きていく支えになっていくものになっていけばいい。
だって、きっと、絶対、間違いだった日々ではなかったのだから。
――しかし、本当に、永田の頭の中こそ「劇場」だ。
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