先日、このブログでも書きましたが、The Master Musicians of Joujouka の東京公演行ってきました!
日本でジャジューカの生演奏が聴くのが夢でした! 夢、叶いました!
ジャジューカの音は屋外で聴いたほうがいい、わかっていたけれど、私には東京公演の屋内で聴くしかチャンスがなかった、もうこのチャンス、このときを、全身で受け止めなければ!と公演に臨みました!
ブライアン・ジョーンズからジャジューカを知った私の受け止め方は、ブライアンファン目線でしかないかもしれませんが、感じたことを書き綴ってみます。
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「つながり」ということ
演奏開始の前に、ジャジューカの紹介フィルムが流れた。今は亡きジャジューカ村の奏者たちの様子がおさめられたフィルム。
ずっと受け継がれてきた音を、また次の世代が継いでいく。静かなる重さを感じる。さりげなく、素朴なのに、重い。嫌な重たさではなくて、澄んだ重たさ。背筋が伸びてしまうような重厚さ。
演奏が始まった。
耳だけではなくて、身体中で受け止める。その音は、単なる音ではなかった。「音は音ということのみならず」、音にのっているのは受け継がれてきた歴史、想い、そこに流れてきた空気。圧倒的な力強さ。
聴き始めた最初のうち、小さな椅子に腰かけてぎゅうぎゅうの場内だったために感じていた腰や背中の疲れも、気づいたら感じなくなっていた。
心も身体も軽かった。
「気持ちいい!」
「浄化されてる!」
自分の中がサラサラで真っ白になっていく感覚。
神様に近い音
元来、「音楽」というのは、今より神聖なものであったそうだ。
庶民が楽しむものというより、神様とつながる儀式のときなどに奏でられるものであったと。
英語の音楽(music)の語源は、ギリシャ神話で芸術をつかさどる女神ミューズ(muse)。よって、音楽(music)は、「ミューズの恩寵にあずかる人間の営み」なのだという。
日常生活で流行の音楽などを耳にする機会が多いと、音楽の神聖さを忘れてしまう。そして、ただの音ではない音に出会ったとき、あらためてその重さと厳かさに目を覚まされる。
ジャジューカを聴いていたら、
「神様に近い音」
だと感じた。
大きな自然の中にいるとき、個である自分ではなくて、大きな存在の中にいるだけの自分を感じることがある。神様を見たことはないけれど、神様を近くに感じられるような。
私の場合は、富士山の夜間登山をしていたとき。
空が近くなって、宇宙の存在がいつもより近くに感じられたとき、宇宙の中の地球という星の細胞のひとつである自分を感じた。
個人的な問題なんてどうでもよくなって、とても安らかな気持ちになった。
ジャジューカの音に触れていたら、人間たちが奏でている音なのに、大きな自然の中にいるのと同じような感覚になれた。
大きな流れの中にいる。ただそこにいる。そこにいるということは、それだけで、そのとき、その場で、存在を許されている。自分の存在価値を問う必要もない。
もちろん「個」を意識することは必要だ。
「個」を意識すれば、自分の人生をどう生き抜くのかが最大のテーマになる。それは大切なことだけれど、現代人は「個」だけを意識する傾向にある。だからこそ、大きな流れの中にただ在るという感覚を得ることが重要なのだ。
すごいな。人間たちが奏でている音なのに、こんな感覚になれるなんて。形だけ真似したって、こういう音は出せない。出そうと意識したって、いえ、意識すればするほど、きっと出せない。
本来の「音楽」とは、きっとこういうもの。神様を感じられるもの。
この音が出せるのは、彼らが無意識にでも常に神様を意識しながら暮らしているからなのだろうか。
そしてブライアン・ジョーンズを想う
私をそこに導いてくれたのは、ブライアン・ジョーンズ。
ブライアン・ジョーンズを知らなければ、ジャジューカを知ることもなく、公演に行くこともなかった。
ブライアンは1968年にジャジューカ村を訪ね、現地録音し、「この音をストーンズの音楽に活かしたい」と話していたという。そんなふうにブライアンはすべてを「ストーンズの音を彩っていくこと」につなげて考えていたのだと思う。
だけど今回ジャジューカの生演奏を聴いて、
「本当に?」
と思った。
「本当にブライアンは、ジャジューカの音をストーンズの音に活かしたいと思ったの?」
って。
というのは、ジャジューカの音はとてつもなく神聖なものだと感じたから。
ジャジューカの音は、それだけで完成されていて、なにかに活かすというようなものではないから。
なによりも音を愛していたブライアン、現地の奏者たちにも敬意を表していた、そんなブライアンがジャジューカの音の神聖さを感じないわけがない。
ローリング・ストーンズはブルース好きのブライアンがメンバーを集め、アメリカの黒人ブルースの演奏から始まったグループだ。
以前、ほかのブログで、シンガーソングライターの龍之介さんのインタビューを紹介した。
「ミックとキースは、ブルースをやる時、「俺たち最高!」って思っていると思う。ブライアン・ジョーンズは「俺、最高!」とは思っていないと思う。本物のスライドにはかなわないと思いながらやっていたと思う」
そう、そう思う。ブライアンはそういう人だったと思う。
そういうブライアンが、ジャジューカのこの神聖な音を「俺らの音楽に活かしたい」と思っただろうか。
ストーンズの音が軽いという意味ではない。
ブライアンは商業路線にのっていくストーンズの音に失望しながらも、諦めてはいなかったように思う。純粋に音を愛し、音を奏でる、それを実現していくグループとして、匙を投げていたわけではなかったと思う。なにより、理想の音楽を演奏するために、自分が作ったグループだったのだし。
とりあえず、「世界の多くの人たちが知らない、こんな素晴らしい音がある」ということを伝えたくて、ジャジューカのアルバム制作には取り組んだのだとは思う。
以下、ジャジューカのアルバムに寄せるブライアンのコメントから抜粋。
このアルバムのために特別に選ばれた音楽は、祭りで演奏され、呪文のように歌われるものである。多くは何時間も何時間も続くもので、当然のことながら編集を余儀なくされた。それから女性コーラスによってリード・シンガーの声がかき消されそうになっていることをお詫びするが、彼女たちは別世界に向けて呪文を唱えているのである。そしてリード・シンガー自身も、我々が録音をしているのに、自分で叩くドラムの影にあの美しい声を隠してしまうのだ。要するに、彼らは我々のために歌ってくれてたわけじゃないのだ。いずれにせよ、僕たちがジャジューカの精神と魔術をしっかりつかまえられたことを願っている。
これは、こういった音楽を聴きなれていない人たちに対して、きちんとジャジューカを聴いてもらえるように、という説明のように感じられる。
また、「僕たちがジャジューカの精神と魔術をしっかりつかまえられたことを願っている。」という部分については、当時スターであったブライアンの奢りを感じるどころか、真摯な気持ちでジャジューカの音を伝えることに専念している心を感じる。間違った評価を与えられないようにと。
ブライアンが目指したものとは?
上記したコメントの中で、ブライアンはまたこのようにも綴っている。
あの祭りの信じられないような緊張感に耐えられるだけのスタミナが、果たしてこの僕にあるんだろうか。まさに西洋文化による精神虚弱だ。ジャジューカにはまだ道もなく、電気も下水も、いわゆる”慰めとなるもの”は何もない。ほとんどの人間は居心地の悪さから苦しくて叫びたくなるだろう。
ジャジューカ村の動物を生贄にするような儀式も、ブライアンにとっては叫んで逃げ出したくなるようなものだっただろう。山羊(もしくは羊だったか?)をペットのように連れ歩いていたこともあるというくらい、動物をかわいがるところもあったブライアンだったから。
生贄の皮をはぎ、その毛皮を着てもらうことがジャジューカ村では敬意を示すことであり、自分が暮らしてきた世界とのギャップに怯えながらも、受け入れようとしていたのではないだろうか。
つまり、それくらい敬意をもって「理解しよう」としていたということで、彼らの音を「利用する」という気持ちでは、まったくなかったのだと思う。
もしも「ジャジューカの音をストーンズに活かしたい」と本当に思っていたのだとしたら、単に音を合わせるということではなくて、それはとても崇高な取り組みだったと想像する。
ストーンズの軸になる精神を純粋に重厚にジャジューカほどに上げ、双方を活かしあう音を奏でていく。
——そんなことが可能なのだろうか。愛するブルースの起源がアフリカだと考えていたということなら、その部分で融合していくアイディアがあったのだろうか。
しかし、ブライアンが実現したかったのかもしれない音を聴いてみたかったと思う。
ストーンズは1989年にジャジューカとのコラボ「Continental drift」という曲を発表している。
ブライアンが実現したかったジャジューカとのコラボが、「Continental drift」のような形だったのかはわからない。最初聴いたときは「コラボ、カッコいい!」と思ったのですが、今回、生演奏を聴いて複雑な気持ちになっている。
なにはともあれ、やっぱり本物はすごかった! あの場に導いてくれて、ありがとうブライアン! あなたが伝えようとした音が、日本にもつながったよ!
そしてジャジューカ日本招聘に尽力してくださった方たちに感謝。ありがとうございました<(_ _)>
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