映画「永遠の0」を観た。
(監督:山崎貴、キャスト:岡田准一、三浦春馬、井上真央、他)

観ながら、涙が止まらなかった。

映画館のあちらこちらからも、すすり泣きが聞こえた。

映画について書こうかと思ったけれど、
何を書いたらいいのかわからなかった。

「戦争は2度と繰り返してはいけない」
「感動した」
などという言葉は軽すぎると思った。

戦争のことをほとんど知らなかった子供が観て、そういう感想を持つのはいいけれど、
戦争を知らない世代とはいえ、大人である私が、この映画を観て、そういう感想しか述べられないのは違うと思った。

自分が何を感じ取ったのか、何故、観ながら涙が止まらなかったのか、
自分でもわからなくて、原作も読んだ。

そして思った。

私は「生きること」を想い、その大切さに共鳴したのだと。

時代や環境が変われば、それに順応するように人間は変わる。

でも、人間の根本は変わらないのではないかと思っていた。

それは、現存する世界最古の曲の歌詞を知った時にも思った。
2000年もの年月が経っても、人間の根本は変わらないのではないか。
(以前の記事:現存する世界最古の曲(歌)「セイキロスの墓碑銘」 )

自分が生きてきた中でも感じてきた。
思春期の頃、大人たちに「最近の若者はダメだ。自分たちがお前たちくらいの年の時は、、、」などと言われた。

でも、そんなこと言われてもピンとこなかった。

時代が流れて、当時の大人たちが子供だった頃の環境とは変わっているのだろう。

だけど自分たちだって、何の悩みもなく暮らしているわけではない。

「苦労ナシ」
と言われても、一昔前の苦労とは質が違うかもしれないけれど、
私たちだって大変なのに、、、
と思っていた。

私は今、たまたま、戦争のない日本の現代に生活している。

でも、たまたま戦時中に生まれていたら?

映画の登場人物たちは、
たまたま自分の国が戦争をしている時代に生まれた。

「生きて帰りたい」

現代ならば、そう思うことは当たり前のことだ。

守るべき存在があるのなら尚のこと、
危険な地に行っても、「生きて帰りたい」、そして明日も明後日も1年後も数年後も生きて、
家族を守り、寿命を全うしたい、

そう思うのは決して責められることではないだろう。

しかし、時代が戦争中なら、
「なんてことを言うんだ、臆病者!」
ということになってしまうのだ。

平和な世の「当たり前」は当たり前ではなくなってしまう。

もしも私が、
もしも今の日本人が、戦時中に生まれたら、
やはり周囲の状況に流されたのではないか。

(心の底から望んでいたわけではないにしても)男性は戦地に赴き、
家族は見送り、
戦死してしまうことも受け入れなくてはならず、
生きて帰ってきても「運が良かった!」と手放しで喜べないのかもしれない。

宮部久蔵(岡田准一)を憎んでいたという戦友が、真相を知りたいと訪ねてきた宮部の孫(三浦春馬)に語る。

特攻に行くという宮部少尉を彼は、
”絶対に援護する、
襲いかかる敵機はすべて撃ち落とし、弾が無くなったら自分が体当たりしてでも守り抜く”
と思っていた。

しかし彼の機体は不調になり、自分が守ろうと思った零戦(零式艦上戦闘機。旧日本海軍が、日中戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)全期にわたって使用した艦上戦闘機)は遠くに消えて行った。

散々叫んだあとで、嗄れた喉で彼は呟いた。「宮部さん、許してください」

憎んでいた男を守れなかったといって何故「許してください」と思うのか、
戦後何十年も経って、訪ねてきた憎んでいた男の孫に、何故、わざわざこの話をしたのか――

状況も一言で説明できることではなければ、
人の心も一言で説明できることほど単純なものではない。

この戦争についても、
特攻についても、
いろいろな意見が飛び交っている。

一体何が正しくて、何が間違っているのか……、
考えていて気付いた。

事実はひとつ、しかしその解釈は数え切れないほどあるのではないかと。

そして、それぞれが、それぞれを思う人々にとっては真実なのではないかと。

例えば、Aさんという人物について、
ある人は「優しい人だ」と評価し、ある人は「冷たい人だ」と言ったとする。

この場合、どちらかが嘘をついているのか?

――否、どちらも真実なのだと思う。

ある人にとってAさんは「優しい人」であり、ある人にとってAさんは「冷たい人」なのだ。

誰も嘘をついていない。全て、その人が心で感じた真実なのである。

ひとつのことでも、それぞれの立場、状況によって、様々な解釈がされる。

1941年12月8日、開戦。
1945年8月15日、正午、玉音放送が行われる。日本無条件降伏。

私は解釈をせず、この事実だけをここに記す。

記したのは二行だけですが、
何が起こり、
どれだけの想いがここに交錯していたのか、
そしてそれを私たちはどのように受け止めていくのか、
それぞれの心で考えていくことが大切なのだと思う。

現代が、どんな歴史の上に成り立っているのか――

歴史が私たちに何を教えてくれているのか――

原作(百田尚樹著)にこのようなことが書かれている。

※引用※

日本は民主主義の国となり、平和な社会を持った。高度経済成長を迎え、人々は自由と豊かさを謳歌した。しかしその陰で大切なものを失った。戦後の民主主義と繁栄は、日本人から「道徳」を奪った――と思う。
今、街には、自分さえよければいいという人間たちが溢れている。

日本人が忘れてしまったものは、原作に書かれているように「道徳」なのだろうか。

または「道徳」”だけ”なのだろうか。

本当に、日本人は変わってしまったのだろうか。本当に?

歴史を想い、先人が築き上げた現在に生きていることを自覚すると同時に、
私たちには考えなければならないことがある。

私たちは次世代に何を残していけるのだろうか。
何を残していったらいいのだろうか、ということ。

戦後の日本人が、平和で豊かで自由な日本を望み、必死に生きてきたからこそ、今の日本がある。

もしもその過程で何か間違いがあったのなら、
今を生きる私たちはその間違いを正していかなければならない。

そして、次世代が幸せに生きていけるように、努めなければならない。例え、それが大変なことであろうとも。

語り伝えていかなければならないことはなんなのだろうか。

今、すべきことはなんなのだろうか。

過去を知ると同時に、未来をより良いものにしていくために、今を生きなければならないと思う。

そして
自分の命は自分だけのものではない、
継がれている流れの中に存在しているのだと気づかなければならない。

戦後を必死に生きてきた日本人たちから受け取ったバトンを、
私たちは、どのように、どんなバトンを次世代に渡すのか、今、考えて決意して動いていかなくてはならない。

映画のテーマソング「蛍」

涙見せぬように 笑顔でサヨナラを
夢溢る世の中であれと
祈り




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