お花をいけました。

ニコのイメージで……、と思っていけましたが……、蔦を絡ませる感じにしたかったのですが、うーん。(相変わらずのボケボケ写真だし;)

心はこめたんです、ホントに。

1988年7月18日、ニコはスペインのイビサで亡くなりました。

あ、ちょうど20年前ですね……。”こ”が”じゅうねんまえ”……、なんて変な語呂合わせしている場合じゃない。

しかも今日は満月。ニコらしく、神秘的です。

ニコのことは、先日「ブライアンとニコ(nico)part1~part4」で書きましたが、命日ということで、今日は「ニコ/ラスト・ボヘミアン」(ジェームス・ヤング著)に書かれていることを、紹介します。

ジェームス・ヤングはニコのバンドでキーボートを演奏していた人です。

この本、なんとなくいい加減というか、間違って記述されている部分もあるようなのですが。

本人が「金のために書いた」なんて、言っちゃってるし。

まず、著者であるジェームス・ヤングのニコの印象↓
たいていのモデル上がりは、顔だけに頼って生きてきたあと、突然内面を見せろと言われて困惑することになる。ニコは変化というものを知らない、恒常的存在だった。すばやく登りつめることも、あっという間に落ち込むこともなく、彼女はただ不変だった。
(彼は結構、ニコのことをメチャクチャに書いていますが、それでも何故かニコに対する親愛みたいなものを感じます)

ニコは1986年と1988年、二度、来日してライブを行ったらしいですが、日本でのエピソード、みっつ。↓

<その1>
日本料理を食べている時、生きている魚が煮え湯から飛び出し、ニコは口元を押さえて逃げ出した。

<その2>
ニコは、同じステージに立ったジョン・ケール(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのメンバー)からプレゼントをもらった。
「(ジョン・ケールには)嫌われてると思ってたのに」
と言いながら、ニコは包みを開けた。
それは彼が(日本の)ファンからもらったカブキの悪魔の面を型どった陶器の贈答用ボトルに入っている高級酒だった。
「気持ち悪い」
ニコは嫌悪に顔をしかめて言った。「二度と、あのトンマとは競演するもんかああああ!」

<その3>
代々木公園ではアマチュア・バンドが何組も演奏していた。
そこには日本のヴェルヴェット・アンダーグラウンドもいたが、ニコ本人がそこにいることに、誰も気づかなかった。

続いて、ニコの発言。↓
「自分でわかってるときは、ひとりも悪くない……だけどいて欲しくもない人に取り囲まれているとき、そういうのが孤独なの」
「あたしたちドイツ人にはユウウウモアのセンスがないの」
(ニコの英語の発音は独特な響きがあるとは思っていましたが、日本語に訳するとこんなふうに間延びした感じになるようです)

そして1986年の思わず心が痛くなるエピソード。↓

1986年2月~3月。

メルボルンでの四夜はボブ・ディランの果てしなきワールド・ツアーのオーストラリアでの上がりと重なっていた。
「ボオブにあいたああいなあ、ずいぶん久しぶりだもん」
マネージャーを通して連絡したところ、
「ひょっとしたら、ボブのライブが終わってから、顔を出せるかも」
という伝言をもらった。
ニコは風呂に入り、新しいシャツを買い、ひどく興奮して、ライブの間中、観客の中にボブの姿を探し続けた。
ボブ・ディランは姿を見せず、ライブ後、ニコは一人、ドレッシング・ルームで泣いた。
「もう、誰も会いに来てくれない」

遺されたニコの日記の中に「あたしは焼かれたい」という文章があったので、彼女は火葬されることになった。

マネージャーのアラン・ワイズは、ニコは「マンチェスターの北の沼地に埋められたい」と言っていたのを知ってい

たが、ニコの遺体はイビサからベルリンに運ばれ、母親の隣に埋葬された。

ベルリン、1988年8月16日。青く済んだ空、気温25度。葬式日和だった。

息子のアリが、片手に骨壷、片手にラジカセを持って現れ、それらを地面に下ろすとラジカセのスイッチを入れた。

ニコの歌声が流れた。

いとしの母様
ようやく一緒になれます
あこがれとさびしさを
内なる平和が取り戻す

パリからはるばるフィリップ・ガレルが一人でやってきた。

ニューヨークの連中(ファクトリー関係者)は、花の一輪もメッセージもよこしてこなかった。
「クールなんだよ」
と、ジェームス・ヤングが言うと、マネージャーだったアラン・ワイズは、
「クール(冷たい)は死んではじめてなるものだ」
と答えた。

ニコは亡くなることになってしまった外出前、頭痛がすると言っていたそうだ。

そして自転車で坂を下ったところで倒れているところを通りがかりの人に発見された。

たぶん転んで頭を打ったのではなく、脳内出血を起こして倒れたのではないだろうか。

ニコは病院をたらい回しにされ、翌朝やっと医師の診断を受けるまで生きていたが、既に手遅れだった。

もう少し処置が早かったら、もう少し外出するのを遅らせていたら……、ニコは生きていられたのかもしれない。

最後に、「Femme Fatale」(宿命の女)を聴きながら、ご冥福を祈りたいと思います。

ニコは”ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコ”と、言われ続けたことをイヤがっていたのではないかと思っていましたが、この映像の中に出てくるファクトリーの仲間たちに囲まれているニコの写真を見たら、心底くつろいでいる様子なのに気づきました。

ニコが仲間たちに囲まれている状況を、とても心地よく感じていたのだということが伝わってきます。

それまで一人で戦い続け、その後また一人で戦い続けたニコの、束の間の安らぎのときだったのかもしれません。

ニコは見た目は立派な大人で、威圧的な雰囲気を持つ女性だったのだと思いますが、本当は最期まで大人になりきれない(幼い部分を残した)可愛い人だったのだと思います。


ほら 彼女がやってきた
気をつけたほうがいい
君の心を まっぷたつにしてしまうから
ホントさ

 



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