映画「オリエント急行殺人事件」を観た。

原作は、1934年、アガサ・クリスティーによって書かれた「オリエント急行の殺人(Murder On The Orient Express)」。

高校生時代、ハヤカワミステリ文庫でアガサ・クリスティーを読み漁っていたので、「観たい!」と思ったのだ。



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映画版は豪華キャスト

「オリエント急行殺人事件」の映像化されたものは、以前にテレビかなにかで観たことがあった。

調べてみたら、1974年にも映画化されている

当時の映像が見つかった。

イギリス的なミステリー感がぷんぷんの雰囲気。

キャストも豪華。

 

今回の2017年版のキャストも豪華だ。

監督・主演:ケネス・ブラナー キャスト:ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファー、デイジー・リドリー、ジュディ・デンチ、ペネロペ・クルス

エルキュール・ポアロのシリーズはアガサ・クリスティーの中でも好きなのですが、今回のケネス・ブラナー演じるポアロはかっこよすぎる気がした。

ポアロの特徴である、カールした「ヒゲ」はとても立派でしたが。

威厳がありすぎというか。

ポアロはちょっとユーモラスなイメージがあるので、1974年版のポアロのほうが、個人的にはイメージ通り。

「善と悪しかない」と言い切るポアロ

映画の序盤で、ポアロは、

「善と悪しかない(その中間はない)」と言い切る。

つまり「正しいことは正しい、間違っていることは間違っている」だけしかなくて、「正しいけど間違っている」なんて中途半端なことはないということ。

白か黒しかなくて、中間のグレーなんてないということだ。

事件に関わっている探偵であるポアロが言う、この言葉の意味は、

「問答無用、理由なんて関係なく、罪を犯すものはみんな悪」

というふうにとれる。

オリエント急行の中で事件は起こった!

ポアロが乗っていたオリエント急行の中で殺人事件が起きる。

被害者は、車内でポアロに自分の警護を頼んできたラチェット(ジョニー・デップ)。

ラチェットは「脅迫されている」といったが、ポアロは依頼をあっさり断る。「顔が気にいらない」からと。

深夜、ラチェットは殺害される。何者かに12か所も刺されたのだ。

雪崩に遭い、列車は脱線。雪の中の車内に乗客は閉じ込められる。

犯人は誰なのか? 乗客の中にいるのか? 外部からの侵入者なのか?

オチはわかっていた ※超ネタバレ注意!

原作を読んでいたので、オチはわかっていた。

本来、空いているはずの真冬の列車が満席。乗り合わせた乗客たちは、偶然乗り合わせたのではなかった。

計画をたてて、メンバーが集ったのだ。復讐を果たすために。

さまざまな国籍を持つ、一見、なんのつながりもないような乗客たち。

しかし実は、乗客たちはある時期、同じことに関わっていた。さまざまな国籍の人物が関わっていても、不思議ではない場所があった。人種のるつぼ、アメリカ。

なんと全員が、以前起きた「アームストロング幼女誘拐事件」の関係者。

イギリス人とアメリカ人のハーフ、アームストロング大佐は有名女優の娘と結婚、アメリカで暮らしていた。夫婦の間には娘が産まれた。

ところが、その溺愛する娘が3歳のとき、誘拐され、巨額の身代金を要求された。

身代金は払ったが、娘は死体で発見される。その後、妊娠していたアームストロング夫人は早産をしてしまい、子供も夫人も亡くなってしまう。

絶望したアームストロング大佐はピストルで自殺をした。

――名前は変えていたが、その犯人こそがラチェットであり、乗り合わせた乗客たちは「アームストロング事件」によって人生を狂わされた人たちだった。

そう、つまり、オリエント急行の中で乗客たちはみんなで力を合わせてラチェットに復讐を果たした。”誰か”が犯人なのではなく、全員が犯人だったのだ。

被害者が加害者になってしまう

ミステリーものというのは、ストーリー展開を追いながら、「真相はなに!? 犯人は誰!?」と推理できるところが醍醐味だ。

しかしオチがわかっているせいか、ミステリーの醍醐味のハラハラ感を味わうことはできなかった。

ぼんやりと観ていたのですが、ラストの真相を説明するシーンで、こみ上げてくる想いがあった。これだ、これがアガサ・クリスティーの好きなところ。心を丁寧に描くところ。

真っ当に生きていたって、理不尽なことに巻き込まれてしまうこともある。そんな人じゃなかったはずなのに、思いがけないことをやってしまう心理に追い込まれてしまうこともある。人の心って、そんなに強くないから。

復讐を果たした乗客たちは、ラチェットが犯した殺人事件によって、人生を狂わされた被害者たちだった。誰も悪くない。アームストロング一家を愛していたり、自分の家族を愛していたりしていた人たちだ。

ひどい事件を起こしておいて、罰せられることもなく、のうのうと生きているラチェットとは対照的に、被害者たちは苦しんでいた。

そして憎しみが復讐へと向かっていく。一人ではできないから、みんなで力を合わせて。一人ひとつずつ、12か所を刺して殺害した。

善と悪だけでは解釈できない

あってはいけないことだけれど、被害者だったはずが、この物語のように殺人犯(加害者)になっていく心理はあるのではないだろうか。

その心理は、あまりにも悲しく、つらいものだけれど、そういう心もあるのだろうと理解はできる。

理解できるけれど、絶対にその心は食い止めなくてはいけない。被害者が加害者になるなんてこと、あってはいけない。

映画の序盤で「善と悪しかない」と言い切っていたポアロは、ラストで「善と悪のバランスがとれない」と言う。

どんな理由があろうとも、殺人は悪である

という理屈が正しいとは言い切れない気持ちになってしまう、それが「オリエント急行殺人事件」だ。

「”正論”だけが”正しい”」と言い切れないことが、世の中にはあるのではないだろうか。

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