映画「アントキノイノチ」を観た。

原作:さだまさし、監督:瀬々敬久、キャスト:岡田将生、榮倉奈々、他。

 

**ストーリー**

高校時代に友人を”殺した”ことがきっかけで、心を閉ざしてしまった永島杏平(岡田将生)。

3年後、遺品整理業の現場で働き始めた杏平は、久保田ゆき(榮倉奈々)と出逢う。

命が失われた場所で共に過ごす中で、次第に心を通わせていく2人。

予告の頃から観たいな、と思っていた映画、やっと観られた☆

細かい点はともかくとして、
私がこの映画を観て感じとったのは、『命をつないでいく』ということ。

「なんで生きてるんだろう」
と考えて悩むよりも、とにかく生きていることの意味は、命をつないでいくことなんだなあ、っていうこと。

その人が生きていることで、別の新たな出会いがあり、相手にいい影響を与えていくことができる。

失われた命を嘆くよりも、
自分が生きていることに罪悪感を持つよりも、
何よりも大切なのは、今ある自分の命を輝かせることで、
それが失われた命を尊ぶことにもなるのだと思った。

今ある命を、精いっぱい輝かせて、寿命を全うして人生を生き抜くこと。

生きているって苦しいこともあるけれど、喜びもたくさんあるから、
あるがままを受け入れて、精いっぱい、命尽きるまで生き抜くこと。

失われた命も、嘆かれるよりも、今ある命を輝かせていくことを望んでいる、きっと。絶対。

でも失われた命を忘れないこと。

優しい気持ちで、確かにそこに在った命を想うこと。

それと、
映画を観ていて、モノの価値ってなんなんだろうってあらためて考えてしまった。

どんどん処分されていく遺品たち。

その人が生きている間は捨てがたい存在だったのであろうモノたちが、その人が亡くなったら不用品として処理される。

その様子を見ていたら、生きているうちから、モノをため込んでいても仕方ないなって思ってしまった。

捨てるのがもったいないからといって、別に必要というわけではないのに、なんとなくとっておいたモノが、
当人が亡くなった後は不要品になる。

つまり、そういうモノたちは、持ち主が生きている間も亡くなってからも、あまり価値がないモノだったりするのだ。

なるべく身軽でいるべきだと思った。

例えば大切な人を遺して亡くなったのだとしても、
遺された人に必要なのは、モノではなくて心の中の思い出であったり、モノであったとしても、とてもささやかなモノだったりするのだから。

生と死は真逆のもののようでいて、実は同じ場所にある。

生きていれば、死に出会う、自分もいつか死んでいく。

生きることを語ることは同時に死について語ることになるのだ。

死を否定した生はないし、生を否定した死もない。

どちらかを否定して、どちらかを語るのは嘘っぱちだ。

生と死が同じ場所にあるということを、再認識できる作品でもあった。




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