映画「東京公園」を観た。(監督・脚本:青山真治、キャスト:三浦春馬、榮倉奈々、小西真奈美、井川遙、他)

※パンフレットより引用※
東京の公園で、家族写真を撮り続ける大学生の光司(三浦春馬)は、幼い頃に亡くした母の影響でカメラマンを目指していた。ある日、ひとりの男性から「彼女を尾行して、写真を撮って欲しい」と突然の依頼が舞い込む。光司は理由もわからないままに依頼を受けるが、このことをきっかけに自分自身と、そしてそばにいる女性たちと向き合うことになる。
何でも話せて一緒にいることが自然な、幼なじみの富永(榮倉奈々)。いつもやさしく力強く支えてくれる、親の再婚で義理の姉となった美咲(小西真奈美)。そして、記憶の中の誰かに似ているファインダー越しに佇む女性(井川遙)。光司の視線が3人の女性をまっすぐ見つめるとき、彼自身もまた変わり始めていく――。

★★以下、ネタバレ注意。★★

不思議な映画だなと思った。

↑上で引用したあらすじには、「彼自身も変わり始めていく」とありますが、私にはその変化があまり感じられなかったから。

登場人物それぞれ、少しの変化はあった。

けれど、それは「すっきり解決! よかった!」というようなものではなかった。

唯一わかりやすい変化があったのは、歯医者さんかな。

物語を作るルールとして、語られている時間(物語)を通して変化があった、というのがある。

特に主人公は、始めは○○だったけど、語られるエピソードを通して成長した(or堕落した)という変化があるのが物語のルールだと教えられたし、そういうものだと思っていた。

ところがこの映画では、特に主人公の光司に何か変化があったとは感じられなかったのだ。

周りはバタバタしていても、彼は結局彼のままだね、という感じ。

例えば「マザコン」だと指摘されても、ピンとこない顔をしている。

例えば義姉の気持ちを知っても(同時に彼自身の気持ちに気づいても)、それほど動揺しているふうでもない。

例えば幼なじみが転げ込んできても、受け入れる。

物語を通して、彼の強い意志とか決意のようなものなどの大きな変化が見られないのだ。

ふわりふわりとしていて。

だからといって、つまらないというわけではなくて、何故か魅力的な映画だったので不思議だなと思った。

混乱しながらパンフレットを読んでいたら、原作者の小路幸也さんが「小説『東京公園』は担当編集者の<何も起こらない物語が読みたい>というリクエストから始まりました」とコメントしていたので、

「そうか、何も起こらないでいい物語なんだ、それが狙いだったのね」

と納得した。

といっても映画と原作には大きな違いがあるようなのですが。(すみません、原作は未読です;)

筆島で美咲が涙を流す場面では、思わず一緒に涙した。

美咲の声にならない叫び『苦しいよ、つらいよ』が伝わってきたような気がして。

大きな自然と対面した時、人間は普段抑えつけている喜びも哀しみも吐き出せてしまえるのだと思う。

というか、隠せなくなってしまうのだろう。

印象に残ったのは、東京の公園たちの美しさ。

そして台詞にも出てくるのですが主人公の光司が「公園みたいな人」だなっていうこと。

なんとなく穏やかなオーラを持ってそこにいてくれて、
「ここにいればいいじゃん」
って言ってくれる。

そしてそこにいる(そばにいる)だけで心が安らいでいく。

「公園みたいな人」を独占しようとすると、イマイチ確かな手ごたえがなくてイライラしてしまうかもしれないけれど、
いい関係を維持できたなら、きっとその出会いに感謝できるだろうな。

都会に公園が必要なように、
人生にも公園のようでいてくれる人が必要なのかもしれない。





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