「少年とアフリカ ―音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話―」(文春文庫)を読んだ。

この本は、作家の天童荒太さんと音楽家の坂本龍一さんの対談集。

なんとなく天童荒太さんの本を読もうかな~と思って、
なんとなく「あ、これがいい」と思って、
なんとなく読んだ本でしたが、この本を読んでよかった!

たくさんの考え方の洪水にさらされたようになってしまい、
(ありえませんが)もしも私がお二人の対談に同席していたとしても、
「なるほど、そういう考え方があるのか」
と頷くことしか出来なくて、それをその場で自分なりに解釈しなおして、自分の意見までも語るのは、とても難しいのではないかと思った。

お二人が感性豊かに物事を捉えていて、それぞれが自分の考えをしっかりと持っていて、しかもそれがとても深い。

極端な意見であったとしても、
「うーむ、それもわかる。そうかもしれない」
と納得してしまう。

ちなみに対談の中にも出てきた話題のひとつについて、私は以前、こんなことを書いていました。↓
なんで人を殺しちゃいけないんですか

私はこの本を読んで、とても大切なことを気付かされたのですが、それはここでは語るのをやめておいて、
とりあえず、印象的な言葉を紹介します。

***引用***

天童「坂本さんは「人を救うなんてことはできない」とわかって、作曲されているということなんです。一方で、世のなかには重い傷を負っている人、生きることに苦しさを感じている人は確かにいて、その悲しみや辛さを心の底から理解されている。そして、そうした人々に「あなたの悲しみや辛さは届いています」と音楽で伝えていらっしゃる……。人は救おうと思って救えるものではないと、人はしっかり考えておかないと、ときに傲慢になるし、傷ついている人をかえって追いつめることにもなりかねない。人にできるのは、傷ついたり苦しんだりしている人に、その傷は痛いですよね、全部は無理でしょうけどわかりますって、心から伝えてあげることだと思ってるんです。それしかできないけど、それができるだけで、この世界は確実に寛容さを増すと思うんですね。決して救ったりなんてできないけど、受け止めて寄り添うことにこそ人間の善なるきらめきがある――そういう想いがメロディとして表現されている、実に希有な音楽だと思いました。」

 

人は人を救うことはできない……、

同感。

私の考えをもっと正確に言うなら、”力は貸してあげられるかもしれないけれど”救うことはできない。

例えば落ち込んでいる人にかけた言葉がその人をとても元気付けるものになったとして、
「ありがとう! あなたのお陰で元気になったよ!」
と言われたとしても。

実際のところ、私が誰かを元気付けられるような言葉をかけることができているかはわかりませんが、
まあ、仮にあったとしても、私は、
「私はこの人を元気付けてあげられた。私がこの人を救った」
だなんて絶対に思わない。

その人が元気になったのは、その人自身の力だと思うから。

仮にかけた言葉がきっかけになったのだとしても、人はその人自身の力でしか立ち直れない、周りの人がいくら力を貸したとしても、最終的に立ち直るのは、その人自身の力でしかあり得ない、って思っているから。

***引用***

天童「そして、「ああ、音楽があるよ」って思ったんです。この世界では善い行いをしている人が必ずしも幸せになるわけではないし、ひどいことをしているやつが長生きをしたり裕福な暮らしを送ったりする。全然救いがなくて、嘆き悲しむことばかりかもしれないけど、「ああ、音楽がある」、もしかしてそれだけで生きている意味はあるのかもしれない、と。」

 

ああ、これもわかる。

音楽は、衣食住のように人間が生きていくために絶対必要なものの中には入っていないけれど、
実はずっと人間を支えてきた、元気付けてきた、とても大きな存在であるのだと思う。

そんな音楽に触れ合えるだけでも、生きているって、生まれてきたことって素晴らしいのかもしれない。

喜びも哀しみも音楽で表現することによって、その形は変わっていく。

***引用***

坂本「もちろん、人を殺すとか、傷つけるのは許せないことで、まして自分が一番愛するものを殺されたら、生涯、許すことなんか絶対にできないよね。
でも、許せないということと、相手を殺すということは、イコールではない。
~中略~
だから、仕返しをしないという選択も、人間は考えることができると思った。自分のもっとも愛するものを殺されても、相手を殺さない。言葉で、それは「許す」ということだと言われたら、全然違うと言いたくなるんだけどね。
~中略~
最愛の人が殺された。仕返ししてやる――そうではない思考力が、人間にはある。」

 

深いですね。

許せないから相手に仕返しをするということだけじゃなくて、他の方法もある。

考える能力を持っている人間は、その方法を見つけることができる。

”考える”ということについて、天童さんは次のように語っています。

***引用***

「考える力とか、ものを見る力って、実はとっても肉体的で、筋肉とよく似ていますよね。精神的な腕立て伏せをして、鍛えていないと伸びないし、使ってないと萎えていく。他者に向ける目みたいなものも、常に気をつかっていないと伸びていかないんですよ」

 

自分は感性がないという人でも、いろいろなことに気付いていこう、気付ける人間になりたい、と意識することで、感性を磨いていくことができる。

たぶん、現代人は考えることをしなくなってる。

与えられた情報だけで、自分が豊かになったように勘違いをしてる。

まあ、それくらい情報量が多いということかもしれませんが。

***引用***(天童さんのあとがきより)

だから特別なことをすべきだと人に勧めているわけではない。そんな不遜なことはできない。ただ現実に起きていることを「否認」せずに見つめるだけで、あなたが見る世界は変わってくるということを伝えられたらと思う。

 

ただ現実に起きていることを「否認」せずに見つめるだけで世界は変わる……、

その通りだと思いますが、これ、実は中々難しかったり辛かったりする。

人は、見たくないものは見ないようにしたり、自分の都合のいいように解釈したりしがちだと思うので。

それをせずに、ありのままの現実を見つめようとすると、傷つくことも多々あるでしょう。

それでも、やはり、脚色されていない現実を見つめることは必要なのだと思う。

いきなりはできなくても、見つめようとするだけでも違う、意識していくことで変わっていくことができるのでしょう。

本当に、いろいろ考えさせられてしまう対談集です。

”考える力”が衰えてしまっている現代人には必読の一冊かも!

読んでみてください、そして、たくさんたくさん、いろいろなことを考えてみてください、ぜひぜひ。[E:book]



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