胃痛治まらず。

そして電車内のモニターの「花粉症の季節到来!」という文字を見ただけで、くしゃみが出そうになりました。

が、しかし、これははずせない!

去年の夏以来の龍之介さんのライブだーー♡

思えば、龍之介さんを知ったのも、ブライアンについてインタビューに答えていたのを読んだことからなので、この縁もブライアンがつなげてくれたものなのです♡

さて、今回のライブ、感想を「。」無しで、とりあえず一気に述べてみます。

私は人間不信気味なところがあって、その理由は自分でもわかっているのですが、信じて痛い目に遭うのが嫌だから、なるべく迂闊に人を信じたり期待したりしないようにと警戒していて、それでもどうしてもノンキな私は「失敗した!」って思うことが多々あって、例えばちょっと前もある人について、「××で○○だったから、信じたのは間違いだったのかもっ」と疑心暗鬼の塊になっていたら、友達から「ん~、でもさ、そんなに悪い人ばっかりじゃないと思うよ」という言葉が返ってきて泣けてしまったのは、そこまで人を信じられない自分が情けなかったのと、ホントは私だって信じたいよ、っていう思いが交錯したからで、つまり私の「誰も信じられない」は「本当は誰かのことを信じたい」の裏返しであるわけですが、そんな私が「誰かと手をつなぎあうことのあったかさ」とか「信じても大丈夫な人もいるよ」とかいうことを、やさしく教えてもらったようなライブでした。

ふぅ。
(一気に述べたので一息)

あらためて、すっごくわかりやすく感じたのは、
「何かが伝わってくる音楽」と「そうじゃない音楽」の違い。

伝わってくる音楽の伝え手(ミュージシャンorプレイヤー)は、
「俺が(私が)!歌ってる、演奏してるんだぜ~!」
という感覚になってないですね、演奏中。

それは一曲目でわかります。
「なんだろ、これ。なにか、すごい」
って。

伝わってきているものが、単に伝え手が伝えているのではなくて、もっともっと大きなものだって。

伝え手は伝えるべき”何か”を伝えるパイプ役みたいになってるって。

つまり、ミュージシャンorプレイヤーは「自分が!」っていう自我が無くなってる。

某脚本家の方が語っていた感覚と同じなのだと思います。

「自分は降りてくるものを伝える役をやればいいだけ」

もちろん、誰が伝え手でもいいのではなくて、よりよく伝えるためにテクニックを持っている必要はあると思いますけど。

それと音楽に対する深い愛を感じました[E:heart01]

敬愛というほうが正しいかも。

やっぱり”愛”がなければ、伝えられないのでしょう。

帰り際、今まで何度かライブに行っていたのに、初めて握手してもらって、
「初めて握手してもらった!」
って言ったら、
「そんじゃ」
って感じで、丁寧に握手してくれて嬉しかったです。

今まではライブ終了後、早く帰りすぎていたのでしょうか。

CD買ってから帰ったこともあったし、毎回ソッコーで帰ってたわけでもないんだけどな。

でも、今度からはちょっと待ってから、握手してもらって帰ることにしようっと。

今回はワンマンじゃなかったのですが、雨宮弘哲さんのマンドリンの音は軽快で、16歳のももちゃんと、龍之介×小春「唄とギターと手風琴」でも登場したアコーディオンの21歳の小春さんのチャラン・ポ・ランタンは迫力満点で、感動感激でした。
パワーがある上、可愛かったし!

ずんずん伝わってくるものがありました。また聴きたいな。

ホントに、あったかいあったかい”龍之介劇場”でした。

冷えた心に、ポワンと灯かりがともるような。



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